西にはよく行くけど東にあまり行く機会がないので、本州の一番端へ行ってみようかと思い、いざ青森へ。一泊二日の短い旅ですから、手荷物は最小限に。本を三冊とウォークマン、日記帳。以上。
最初は小泊崎へ行くつもりだったので、弘前に宿泊したのですが、やはり気が変わって竜飛崎へ行くことにしました。早朝七時過ぎに宿を出発。弘前駅から青森へ、約一時間で到着。青森駅は思ったよりも小さな駅で、まだ冬というには早すぎるため雪も降っておらず、ちょっぴり拍子抜け。
竜飛崎へ行くには、津軽線で蟹田まで行き、そこで乗り換えて三厩(みんまや)村へ、さらにそこでバスに乗り換えなくてはなりません。時刻表を見ると、蟹田行きの次の電車は10時57分発になっています。二時間以上待つのかよお。さすがにそれは厳しいと思い、500円高い特急券を購入しました。特急であれば、一時間後に出ます。時間がないのです、今回の旅行は。
特急列車に乗って10時半少し前に蟹田に到着。駅で三厩行きの電車の時刻表を確認すると、11時55分発。一時間以上近く待つことになりますが、蟹田は歩きたい町なので、丁度良いです。駅を出て、海岸線に沿ってお散歩をしました。
太宰治は、彼の故郷である津軽を三週間にわたって歩いた時の記録を『津軽』という旅行記に著わしています。その中で、蟹田の町を訪れた大宰は、友人N君の家で酒をたらふく飲んだ次の日に、観瀾山を登ります。
観瀾山。私はれいのむらさきのジヤンパーを着て、緑色のゲートルをつけて出掛けたのであるが、そのやうなものものしい身支度をする必要は全然なかつた。その山は、蟹田の町はづれにあつて、高さが百メートルも無いほどの小山なのである。けれども、この山からの見はらしは、悪くなかつた。その日は、まぶしいくらゐの上天気で、風は少しも無く、青森湾の向うに夏泊岬が見え、また、平館海峡をへだてて下北半島が、すぐ真近かに見えた。東北の海と言へば、南方の人たちは或いは、どす暗く険悪で、怒濤逆巻く海を想像するかも知れないが、この蟹田あたりの海は、ひどく温和でさうして水の色も淡く、塩分も薄いやうに感ぜられ、磯の香さへほのかである。
蟹田の駅から寄り道をしつつ三十分ほど歩くと、観瀾山が現れました。本当に小さな山で、山というよりは丘という風でしたが、登ってみると大宰が書いていたように、見晴らしは悪くありませんでした。悪くないというか、とても良かった。天気が良かったせいもあると思いますが、太陽の光が海に、家々の屋根に反射して、とても気持ちがいい。遠くに見えるあれが下北半島かしら。ああ、光がとても気持ちいい。
ふと気付くと、12時30分を過ぎています。やばいやばい。電車に乗り遅れると、また二時間待たなくてはいけません。急いで駅に戻り、ぎりぎりセーフで三厩行きの津軽線に乗り込みます。客はほとんど乗っておらず、乗っているのは、カメラを持ったおやじばかり。
電車はゆっくりと進み、ぼくは旅行の定番Bomb The Bassの『Clear』を聞きながら、窓外の風景に心を落ち着けます。此処まで来ると、さすがに青森に来たという気がします。うふ。
12時半過ぎに三厩に到着。売店もないこじんまりとした駅。外でおばさんがつけものを売っていますが、一日に数本しか電車が来ない、降り立つ客もまばらなこの駅で、果たして商売は成り立つのだろうかと余計なことを考えながら外に出ると、バスが待っています。10分後に出発するとのことですが、『津軽』によれば、三厩から竜飛先まで歩いていけるらしいので、バスの運転手さんに「竜飛崎まで歩いて行くとどれぐらいかかりますか?」と聞くと、20キロ近くあるので、今から歩いたら到着するのは夕方になってしまうよ、と言われました。一時間で五キロ歩いたとして、四時間。『津軽』には海岸線に沿って三時間ほど、と書かれていたけど、それでもちょっと辛いので、大人しくバスに乗り込みました。
バスが出発。帰りは歩けるだけ歩いてみようと思い、バスの走る道順を記憶しようしましたが、海岸沿いを走るバスの窓の外に広がる景色が素晴らしすぎて、途中から道がわからなくなってしまいましたが、まあ、海岸沿いに歩けばいいのだろうなどと軽く考えて、なにも考えずに風景を楽しみましょう。もう一生来ない町かもしれませんから。窓の外に広がる東北の漁村に、なにげに感動。
40分程で竜飛崎に到着。竜飛崎まで、有名な国道339号線を登ります。国道339号線は、国道であるにも関わらず階段なのであります。なんでも、村が単なる山道を国道として申請し、国の方も対して調べもせずに認可してしまったとのことで、やはりどんなことでも駄目元で挑戦してみるべきなだなと思います。段数が多く、しかも急なので、息急き切って登りますが、思ったよりも風は強くないし、寒くもありません。
竜飛先に到着。わお!ここが日本の最北端なのね!津軽海峡なのね!石川さゆりなのね!と思いながら、海に望みます。さすがに此処まで来ると風が強いです。向こうに島が見えます。あの島はなんていう島だろうと思っていたら、隣にいたおばさんが「あれが北海道だよ」と教えてくれました。すげーな、なんか泳いでいけそうじゃん。源義経でなくとも、渡りたくなるわな、あれじゃ。などと思いながら、今度は逆の方へ行くと、吉田松陰の碑があります。僕の大好きな人がたくさん訪れているのです、この場所は。
ぼくは海のない町に育ち、成人してからも海のある町や国へはほとんど旅行をしたことがないので、海と空のみで視界が広がる感覚というものにいまいち慣れていなくて、山に登ったときなんかに遭遇する視界の広がりとはまた異なる感覚に、しばし戸惑いを感じます。尊敬する坂本の龍馬っちなんかは、子供の頃から暇さえあれば海をぼーっと眺めていたと言いますが、今こうして海しか見えない視界を目の当たりにすると、お約束ではありますが、****になります。あまりにもお約束の意見なので恥ずかしくて書けません。でも、****なのです。
そんな感じでしばらく逍遥し、再び339号線を下り帰りのバスに乗り込むと、乗っている客は行きのバスに乗っていた人とほとんど一緒。時計を見ると、まだ二時を過ぎたところで、こりゃ幾ら何でも帰るのには早すぎます。駅までちょうど半分ぐらいまで来たところで、バスを降りてそこから歩くことにしました。ここからなら、寄り道をしても三時間あれば駅までいけるでしょう。最終の電車が六時ぐらいだったから丁度良い感じです。今回の旅行はあまり歩いていないので、村々をたっぷり歩きましょう。
森の間の道を、駅の方へ向かって歩きます。それにしても、人というものをほとんど見かけません。これはまたどうした事なのでしょう。田舎過ぎて全員死んでしまったのでしょうか。日曜日だからお休みしているのかもしれませんが、ちょっとねえ、少しぐらいはいてくれよう。交流してくれよう。などと思いながら歩いていると、波の音もほとんど聞こえないことに気付き、聞えるのは鳥の鳴き声、時たま走る車の音、それぐらいのもので、風もほとんどなく、太陽も具合良く顔を出していて、非常に穏やかな気持ちになってきました。まだ十二月の一日なのだから、雪が降っていないのも当たり前だし、風が穏やかなのも当然なのですが、凍てつく冬の津軽海峡を想像してきたぼくには、この長閑さがなんともいえず拍子抜けと同時に心地よく、歩いているだけでなんだかにやけてしまいます。まるで僕の人生の縮図ではないですか、この旅は。
一時間ほど歩くと、山の上に義経寺を発見。階段を上って上に行くと、なんとも味のないお寺が登場。うーん、こう言ってはなんですが、面白くない寺です。
三厩村には、以下の様な伝説が残っています。
むかし源義経、高館をのがれ蝦夷へ渡らんと此所迄来り給ひしに、渡るべき順風なかりしかば数日逗留し、あまりにたへかねて、所持の観音の像を海底の岩の上に置て順風を祈りしに、忽ち風かはり恙なく松前の地に渡り給ひぬ。其像今に此所の寺にありて義経の風祈りの観音といふ。
この伝説にちなんで名付けられたのがこの寺で、それ以外には特に面白いことはありません。太宰も例のごとく「これは、きつと、鎌倉時代によそから流れて来た不良青年の二人組が、何を隠さうそれがしは九郎判官、してまたこれなる髯男は武蔵坊弁慶、一夜の宿をたのむぞ、なんて言つて、田舎娘をたぶらかして歩いたのに違ひない。」なんてさめたことをおっしゃってます。寺の外れにある地蔵様を拝んで、さらに上へ行くと階段があり、登ると大きな道路にでました。下に海岸線が見えるので、駅の方向へ向かって歩き始めます。
ようやく、旅行らしくなってきました。こうやって何もない道を歩くことに勝る楽しみはありません。人はひとりも通らない。車もほとんど通らない。あ、通った。一台の車が僕を抜かして走っていきます。終電を逃すと三厩村に泊まらなくてはいけなくなるので、それでには駅に着きたいけれど、急ぎたくはありません。左右を森に囲まれて、静かな何もない道を歩き続けます。しばらく歩くと、先ほどぼくを抜かしていった車が路肩に停まっています。あれ?何をしているのだろう。エンジンかけっぱなしじゃん。進むと、森のなかでおばさんがしょんべんしています。あらら。見ない振りをしてさっさと歩きましょう。せっせせっせと歩いていると、しょんべんばばあが車で僕を抜かしていきやがる。森が開けて、山がとてもいい色に灼けていのが見えました。
四時半を過ぎたぐらいから、辺りがどんどんと暗くなってきました。ラオスで夕方に散歩したときもあっという間に辺りが真っ暗になって困ったことがありましたが、日本国の青森県も負けず劣らず真っ暗になりそうです。ああ、わくわくしてきた。わざと変な道に入り、迷わないかしらなどとドキドキして、終電に間に合わなかったらどうしようなどと思いながら歩く速度を落とします。夕方、西に日が沈みかけのこの時間、人がいないと思っていた村の家々にも灯がともり、ああ生活をしている人はいるのですねなどと安心し、頼むからこの日本の本州最北の村で迷わせてくれ、終電に間にあわないでくれと願うも、携帯電話をみるとアンテナがバリサンで、イージーナビとかで場所を確認したら、確認レベルAで石神井で確認したときよりも正確な地図が表示されました。がっかりです。仕方がないので自分の足すら見えないこの暗闇を少しでも楽しみ、一歩一歩、ゆっくりと歩くしかありません。
結局、六時前には無事に駅に到着。乗客はぼくひとりです。
『津軽』のなかでぼくの一番すきなエピソードは、太宰が三厩村を訪れたときに泊まった宿の話で、実は終電を逃して帰れなくなったらその宿に泊まろうかしらなどと思っておりました。
三厩の宿に着いた大宰たち一行は、今別で買った鯛を酒の肴にしようと、まるごと塩焼きにしてくださいと女中に頼みます。その時に、この女中が少し抜けた風なのを心配したN君が「そのまま塩焼きにするんですよ。三人だからと言つて、三つに切らなくてもいいのですよ。ことさらに、三等分の必要はないんですよ。わかりましたか。」と注意をします。
ことさらに三つとは限らないか、などと冗談を言つてゐるうちに、鯛が出た。ことさらに三つに切らなくてもいいといふN君の注意が、実に馬鹿々々しい結果になつてゐたのである。頭も尾も骨もなく、ただ鯛の切身の塩焼きが五片ばかり、何の風情も無く白茶けて皿に載つてゐるのである。私は決して、たべものにこだはつてゐるのではない。食ひたくて、二尺の鯛を買つたのではない。読者は、わかつてくれるだらうと思ふ。私はそれを一尾の原形のままで焼いてもらつて、さうしてそれを大皿に載せて眺めたかつたのである。食ふ食はないは主要な問題でないのだ。私は、それを眺めながらお酒を飲み、ゆたかな気分になりたかつたのである。ことさらに三つに切らなくてもいい、といふN君の言ひ方もへんだつたが、そんなら五つに切りませうと考へるこの宿の者の無神経が、癪にさはるやら、うらめしいやら、私は全く地団駄を踏む思ひであつた。
「癪にさはるやら、うらめしいやら、私は全く地団駄を踏む思ひであつた」と書いてあるのが、なんといいますか旅の楽しさをより強調しておりますな。ぼくも今度はお友達と一緒に旅行がしたいものです。
三厩から最終列車で蟹田に到着しました。ここでもう一度乗り換えです。またもや一時間近く電車は来ないので、夜の浜辺に出てみました。そう言えば、自分の写真を撮っていないことに気付き、セルフタイマーではい、チーズ。夜の浜辺にひとりたたずむと、何かを叫ばなくてはいけないのではないかという強迫観念に駆られます。とても恥ずかしいことを叫んでしまいそうな自分を押さえつつ、クールにクールにと言い聞かせ、浜辺に座ってしばし黙想。
そんなこんなでプチ旅行は終了です。毎月とは言わずとも、二ヶ月に一度程度はこんな感じのプチプチした旅行に行こうと。かたく決心しました。
皆さんフェラチオは好きですか?などと書くと、まるでぼく自身がちんちんをくわえることが好きであると勘違いをされてしまいそうですが、そうではなくて、まあ何度かくわえたことはありますが好きではありません、とか書くと本気にされそうなので訂正をしておくと、くわえたことはあります。嘘です。いえ、本当です。実際くわえたことはありますが好きではありません。愛の無いフェラチオだったから。と書いてもまさか本気にする人はいないと思いますが、本当です。というのは嘘です。それではどうしてこんなことを書くのかというと、ある尊敬する友人に勧められて、舞城王太郎さんという作家の作品を読破したからでして。
舞城王太郎さんという作家を、皆さん御存知でしょうか。『煙か土か食い物 Smoke,Soil or Sactifices』でメフィスト賞を受賞してデビュー、その後『暗闇の中で子供 The Childish Darkness』『世界は密室でできている The World is Made out of closed rooms』と続けざまにサスペンス小説(?)を発表したのち、いきなり短編『熊の場所』で群像デビュー。群像の先先月号にも『鼻くそご飯』という短編を発表していたので、今後は文学の世界?で活動をするつもりなのか、っていうかそれ以前に群像に作品を発表すること自体、舞城王太郎氏にとってはお遊びなのでは?と思ってしまうような、ふざけた、というかなんとも言い難い作家でして、とにかく作品が面白すぎてびっくりしました。
デビュー作である『煙か土か食い物 Smoke,Soil or Sactifices』は、福井県の西暁町が舞台のサスペンス小説で、主婦を狙った連続殴打事件の被害者の息子である奈津川四郎が主人公となって犯人を探しだして復讐するという物語なのですが、この小説の中で「犯人探し」ははっきり言ってしまえばおまけのようなもので、物語の本題は奈津川家の血族物語なのです。ドイツ人である曾祖父の奈津川ハンス。その息子、政治家の奈津川大介。さらにその息子であり、これまた政治家の奈津川丸雄。そして丸雄の息子たち、政治家の一郎、行方不明の二郎、作家の三郎、そしてアメリカでERに勤める四郎。まるで呪われたかのような奈津川家の血筋(ファミリーサーガ)が、暴力と死の描写の中で語られていきます。
初期の三作、といっても全部で四作しか出ていませんが、この三作はサスペンスというか推理物というか、そのようなエンターテイメントの形式をとっているので、とにかく人が死ぬ死ぬ。特に『暗闇の中で子供』『世界は密室でできている』なんかは、まとめてばんばん死にまくります。死体としてしか登場しない人もたくさんいるし、名前すらない死体も登場します。けれども、それよりも気を魅かれるのが暴力の描写で、奈津川家四兄弟の暴力描写がとにかく凄まじいのです。特に、行方不明となっている次男の二郎の暴力の話は激しいもので、小学生四年生まで苛められっ子だった二郎は、ある日突然に自分を苛めていたひとりひとりに復讐をはじめ、相手が二度と立ち上がれなくなるまで、肉体的だけではなく精神的に攻撃を繰り返します。たとえば、あるいじめっ子はぼこぼこにされたあとに青ガエルを生きたまま食べることを強要されたり、別のいじめっこは自分の目玉を指で引っこ抜くことを命令されたり、また別の子は自分の指を強引に食わされたり、野良犬のちんちんをなめさせて最後は犬のちんちんを咬み切らせて食わせたり。
それでも舞城王太郎さんが憎たらしいのは、そんな暴力的な物語なのに、必ず最後は読者を感動させるのです。カータールーシースってヤツです。激しい暴力と死の中に生きながら、登場人物、とくに各物語の主人公はみなさんいたってまともな人間で、臭すぎるような発言や行為によって、読者をきっちりと泣かせてくれるのです。『世界は密室でできている』なんかは、完全な青春小説ですもの。スタンドバイミーよりずっと泣けましたよ。
そのように、それら初期の三作もとても優れた作品だと思うのですが、ぼくがここで書きたいのは、舞城王太郎初の短編集『熊の場所』についてでして、この短編集は主に文芸誌に掲載された作品を収録したものなのですが、カバーが死ぬほどかわいくて、触るとふわふわしているのです。しかも全体黄色だし。うーたまらん。この『熊の場所』には全部で三作品収められていて、そのいずれについても書きたいことはたくさんあるのですが、書き下ろしの『ピコーン!』について少しかかせて下さい。この『ピコーン!』を読んで以来、ぼくの頭からこの話が離れず、ずーっとフェラチオのことばかり考えているのです。
主人公は、チャコという女の子。暴走族「婆逝句麺(バイクメン)」の一員である哲也の恋人です。ヤンキーではあるものの頭の良いチャコは、大検を受けてまともな生活をしようとし、哲也にも更生を迫るのですが、哲也が更生の条件として提示したのがフェラチオ一万本ノック、っていうか要するに一万回フェラチオをするという約束で、チャコはそれを承諾します。哲也は土方のバイトを始め、チャコもクリニックでバイトをしながら勉強をし、毎日きっちりとフェラチオで哲也をいかせます。チャコの口の中はすりきれてまともにしゃべれなくなったりしますが、それでは約束通り毎日フェラチオを続けます。
わたしはバイトと勉強とフェラチオにより一層熱が入る。すると「もうフェラチオはいいよ」と哲也が言い出してわたしはびっくり。「なんで?」。まさか他に女ができたとか言い出すんじゃないだろうな。握りこぶし。「フェラチオのために頑張ってるみたいな感じであれやで」。えっ?あはは。握りこぶし弛緩。「何言ってるんや。フェラチオのために頑張ってるんやないの」「違うわボケ」「あはは。冗談やあ。哲也偉くなったもんなあ」「おう」「だからもうフェラチオはいらんの?」「おう」「嘘つけ」「あっやめろ」「いや」「ああっ」「・・・・好きなくせに」「うおー」とか言っちゃって哲也かわいい。わたしもすっかりフェラチオ大好きっ子だ。テクに情熱までこもってもうびっくりするほど早く哲也をイかせることができる。哲也はわたしを抱いて抱きしめて「愛してる」なんて口走る。わたしも愛してる哲也!
しかし、五ヶ月経ってフェラチオを八百回したところで、チャコを愛しフェラチオを愛し愛のためにまともになろうと頑張っていた哲也は、神社の境内で死体となって発見されます。死因は脳挫傷で、頭にはロウソクをたらされた短い木の枝が二本突き立てれ、上半身は裸、額には星が描かれ、両手はチョキをつくり、左手には「COAGLLA」右手には「SOLVE」と書かれて発見されるのです。さらにちんちんは勃起していて、ガムテープをよじってできた長いこよりでタスキ掛けされている。そして顔は笑っている。
紆余曲折を経て、チャコは犯人を発見し、少し頭のおかしげな犯人は警察に逮捕されます。その後しばらく経って、哲也の死から少しずつ回復してきたチャコは、ある日一本のビデオを借りてきます。それは90年代中頃の、ダウンタウンが一番面白かった時期の「松本人志の一人ごっつ その壱 炎無の念」で、チャコは松本が「<<フェラチオ>>を出世させよう」というコーナーでフェラチオを少しずつ出世させていくのを観ます。
まったく男ってマジで皆してフェラチオが大好きなの?ふう。でも見ていてわたしは思う。このころの松本人志は本当に天才だったのだ。松本は一枚一枚フリップをめくって「フェラチオ」の出世名を挙げていく。「フェラチオ」ー「フェラレディー」ー「フェラレディーZ」ー「フェラガモ」ー「ハンティング・フェラワールド」ー「チンポハンティング」ー「チンポリタンジャーニ」ー「チンポリタンジャニーズ」ー「しゃぶしゃぶ夢中組」ー「尺八」ー「尺なで声」ー「巻尺」ー「八田尺子女史」ー「尺八物語」ー「尺八ぶらり旅」ー「尺八流れ者」ー「フリー尺八」ー「尺八楽器店」ー「尺八味の名店街」ー「おしゃぶりどころ尺ちゃん」ー「スナック尺のママ」ー「かっぽう尺のママ」ー「あんた飲みすぎよ」ー「うるせえ」ー「なに荒れてんのよ」ー「ボタンとれかかってるじゃないの」ー「上着かしてごらんなさい」ー「いい体してるわね」ー「フェラチオしてあげようか」ー「ああ頼む」
わたしはゲラゲラ笑って哲也にしてあげたフェラチオを懐かしく思う。ちょうど自転車のハンドルみたいに硬かった哲也のあの長細いチンポ。あの頃わたしは「ああ頼む」にどれだけ近づいていたのだろうか?まあ確かに「尺八」くらいまでは自信があるのだが「尺八味の名店街」とまでいくとさすがにちょっと判らない。
その時、チャコはピコーンと閃きます。「哲也が笑っていたのは、瀕死の哲也が意識が朦朧とした中で、露出したチンポにわたしのフェラチオを期待したのではないだろうか?ということは、きっと死ぬ直前の哲也の頭は股間に顔を近づけるわたしの口のことで占められていたはずだ。つまり最後にわたしのことを思って哲也は死んだのだ。」
チャコは、少し泣いて、そして思います。
わたしはまた少し泣いていつもよりももう少し幸せな気分で眠る。わたしにはこれからまだ長い人生がある。(中略)まだ現実感など全然ないけれど、またいつか新しく好きな人ができたらわたしの凄いフェラテクを披露してやろう。その人のびっくりする顔が早く見たいような気がちょっとしないでもない。
なんかもう、この感動は作品全体を通して読んでもらわないとわからないと思うのですが、ぼくはわんわんわんわん泣いてしまいましたよ。哲也を思い出して「自分のフェラチオはどこまで「ああ頼む」に近づいただろうか」と考えるチャコ。「死の瞬間に、哲也は私のことを思って死んだのだ。だから勃起していたのだ」と考えるチャコ。そして「少し」泣く。この「少し」というのがやばい。やばすぎます。死んだ恋人を思いだして、自分が彼にしてあげたことを想って、少し泣く。少しだけ、泣く。そして、少し幸せな気分で眠る。少し、幸せな気分で、眠る。少し。この「少し」というところに、ぼくは感動しているのです。
舞城王太郎氏の作品全体を通して共通するテーマは、暴力や性などさまざまな形をとって表現されていますが、とにかく突き詰めると「愛」なのだと思います。そして僕が感動するのは、その愛を表現する手段としてフェラチオをもってきたところで、ぼくはこの小説を読んで、フェラチオが愛であるという確信を得ました。セックスじゃなくてフェラチオっていうのが良いのです。なんかねー、前々から思っていたのですけど、フェラチオってもっと評価されても良くないですか?って何を書いているのか自分でも良くわからなくなってきましたが、クレオパトラのフェラチオがもっと下手だったら世界の歴史は変わっていたと言いますし、坂本龍馬が姉乙女に送った手紙には「おりょうのふぇらちおは絶妙なれば、幕府を倒さんと欲す」などと書かれていたというし、高杉晋作は死に際して「おもしろきことなきこのよにフェラチオを」などと詠んだというし、ジョンとヨーコのフェラチオパフォーマンスは有名だし、キング牧師は「アイハブアドリーム!プリーズフェラチオ!」と叫んでいたし、ゲーテの最後の言葉は「もっとフェラッチョ!」だったというのは全部嘘ですけど、キスと比べてフェラチオはいまいちエロいイメージがあって、公言しづらいところがあると思います。以前、友人(内倉君)に「Kiss」という、いろいろな人がキスをしている所を写した写真集を頂いたことがあるのですが、「Fellatio」という写真集は多分存在しないでしょう。存在したとしても、エロ本でしょう。それは何かが間違っている。いや、もちろんぼくもエロ本は好きですよ。むしろ大好きです。でも、そのような性的な意味でのフェラチオももちろんフェラチオですが、本当の意味でのフェラチオは、キスと同じか、あるいはそれ以上に愛の行為なのです。何を書いているのでしょうかぼくは。今日はお友達とたらふくお酒を飲んでしまったので、少し勢いづいているということもありますが、これを機会に声を大にして言いたい。色を変えて文字も大きくして書きたい。
フェラチオは愛である。
フェラチオが愛であるということを、もっと世間の皆さまに認識して欲しいのです。
それからもうひとつ、舞城王太郎氏の小説の素晴らしいところは、女の子の書き方がとてもうまいところで、『暗闇の中で子供』のユリオ、『世界は密室でできてる』のエノキ、そして『ピコーン!』のチャコ。みんなとても魅力的に書かれていて、女性の一人称で書かれているのは『ピコーン!』だけだと思うのですが、このチャコの語り口とか行動とかが、ぼくの大好きな友人のひとりである女性を思い描かせるのです。その方もフェラチオ一万本ノックとかやってしまいそうだし、自転車に乗って殺人犯人探しをしてしまいそうだし、『一人ごっつ』を観て死んだ恋人を思い出して泣いたりしそうな人なので、『ピコーン!』を読みながらぼくはずっとその人のことを考えていて、だからすっかり感情移入して読んでしまったのですが、書き手が下手くそだったら、自分の身近な人を当てはめて読んだり、感情移入したりすることは絶対にできませんからね。ぼくはその友人のことが更に好きになったし、これから彼女を見かけたら、多分フェラチオのことを心で考えると思います。
そういうわけで、フェラチオは愛です。愛。いいかげん、ぼくも少しやけくそになってきているのですが、みなさん、もっとたくさんフェラチオしましょう。
ビートたけしが雑誌『サピオ』で連載している『哀国愛国 唯我毒論』の第四回で、核保有国であるアメリカが、イラクや北朝鮮に対して大量破壊兵器の査察を要求していることに言及し、アメリカの「独占欲」について映画を例に挙げて書いています。
たけしによると、アメリカという国では、字幕で映画を観るという習慣が一部のインテリを除くとあまり浸透していないため、吹き替え版を作るのであれば、いっそのことリメイクしてしまえという考え方をするそうです。他国の良い映画を自国に輸入する際に、そのまままるごと自国のものにしてしまえ!というわけですね。ちょっと例を挙げると、『オープン・ユア・アイズ』は『バニラスカイ』に、『ニキータ』は『アサシン』に、『ゴジラ』は『Gozilla』に、『赤ちゃんに乾杯』は『スリーメン&ベビー』に、『用心棒』は『ラストマン・スタンディング』に、『さよならの微笑』を『今ひとたび』に、(通常のリメイクとはちょっと違うけど)『太陽がいっぱい』を『リプリー』に、などなど。でも、モノマネとかパクりではなくて「リメイク」なのですから、別にかまわないのではないですかね。
上に記事でも書いてありますが、昔はアメリカの発明したものを改良して日本が儲ける、という図式が一般的だったような気がしますが、実は日本もなかなか捨てたものではないのです。日本が誇るのは、マンガやアニメやオタクだけではないのですよ。けれども、最近の安易な日本文化礼賛はちょっと考えものです。日本文化は素晴らしいと単に声高に叫ぶだけではなく、もっと自然に生活に浸透するような活動をして欲しいと、一体ぼくは何のことを言っているのか自分でも良く判らないのですが、そう思うわけです。日本の文化は世界的に見ても素晴らしい文化なのですから。
■円周率計算の世界記録が更新される 新記録は約1兆2,400億桁
1兆2,400億桁までいっても割り切れないのですから、もうそっとしておいてあげたらどうですか。という話はどうでも良くて、この記事を読んで思いだしたことがありまして。
ここ数年の間、うんざりするぐらい聞かされている話題のひとつに、「大変だ!今の小学生は円周率は3と教えられているんだぞう!」というものがあります。その度にぼくは「それは大変だ!」などと相手に合わせて言ってしまうのですが、なにが大変なのかさっぱり判らず、3.14が3でも鉄割がブレイクするわけではないしどうでもいいじゃーん、などと心のなかでは思っていたのですが、実はこの「小学校で教える円周率が3になった」という話はデマなんですって。詳しい話は下のサイトに詳しく説明されているのですが。
■円周率3騒動皆さん、知ってました?「小学校で教える円周率が3になった」という話自体を知らない人も多いかも知れませんけど。それにしても本当に、世の中の情報などというものは、もはや何も信用できません。
けどまあ、情報に躍らされないように常に気を張って生きるよりは、適度に情報に躍らされた方が人生は楽しいかもしれません。適度に気を張り適度に気を緩め、って感じで。
ちょっくら角田光代さんをまとめて読んでみました。
この方の書く小説って、読んだ方もいらっしゃるかもしれませんが、一度読み始めると止まらないのですよ。しかも読みやすいから、あっという間に読んでしまうのです。なので、『東京ゲスト・ハウス』を電車で読んで、『エコノミカル・パレス』をカフェで読んで、『愛がなんだ』を夕食を食べながら読んで、『空中庭園』をふとんに転がって読みました。
面白くなかったらそんなに読めるはずもないので、当然のごとく小説自体はかなり面白いのですが、この面白さはいったいなんなのだろうと考えてみたところ、もしかしたら小説の主人公に自分を重ねて読むという、ぼく的には一番恥ずかしい読み方をしているのではないか、と思うに至りまして、少々焦っているのですが、角田光代さんは1967年生まれで、ぼくよりも全然年上ではありますが、世代的には同世代ともいえるし、登場人物はぼくと同じ年くらいの若者ばかりだし、小説の書き方もとても巧みなので、登場人物に共感するのは仕方がないのかもしれませんが、なんとなくシャクゼンとしません。だって、『東京ゲスト・ハウス』のコピーなんかをみると
アキオはアジアを旅して帰国した。成田に着いて恋人マリコに電話するも、彼女は他の男と同棲していた。行き場を失ったアキオは“ゲスト・ハウス”に転がり込む。“何か”を探している人に読んで欲しい。
わお!はずかしー!今どき「“何か”を探している人」って。なんですか「何か」って。ダブルクォーテーションで括らないで欲しい。“何か”なんて探してないですよう、ぼく。
さらに『エコノミカル・パレス』のコピーは
34歳フリーター、同居の恋人は失業中。どんづまりの私の前に、はたちの男があらわれた——。生き迷う世代を描いて<今>のリアルを映す。
もうねえ、言葉も出ませんよ。「生き迷う世代を描いて<今>のリアルを映す」ってなに?なんなの?こんなことを書いたら怒られてしまうかもしれませんけど、今どき「何かを探している」とか「生き迷う世代」なんていう表現はいかがなものでしょう。『東京ゲスト・ハウス』も『エコノミカル・パレス』もとても面白い小説だったので余計に腹立たしいのですが、「生き迷う世代を描いて<今>のリアルを映す」って、なにも言いようがない駄目な小説に使うようなコピーじゃないですか。とりあえずそう言っておけばいいや、みたいな。ぼくにはコピーを考える才能はないので、単なる文句で終わってしまうのがとても悲しいのですが、少なくともそのようなコピー群を読んで、小説を手に取ってみようとは思わないでしょう。
別に本のコピーの文句を言いたいわけではなくて、「物語に共感する」とはどういうことなのか、を考えたいわけでして、小説の中に自分を見つけて自分の不甲斐なさを再確認してもどうしようもないのに、それが妙に快感だったりするのはどういうわけなのでしょう。今回読んだ四冊の中でぼくが一番好きなのは『エコノミカル・パレス』で、主人公は、甲斐性のない恋人と一緒に暮らし、恋人が失業したためにその生活費の大半を出すはめになった三十四歳の女性なのですが、その女性の行動がいちいち解るのです。理解できてしまうのです。ああ、わかるわかるって感じなのです。やべー、これって少女漫画読んで自己投影してその気になっている中学生と一緒じゃん!などと焦りを感じたりもするのですが、やっぱり解ってしまうのです。たとえば、物語の中で主人公は二十歳の若者に魅かれます。年が十四才離れているこの若者に対して、主人公が戸惑うシーンが何ヶ所かあるのですが、ぼくたちの世代が初めて遭遇する世代間のギャップに対する戸惑いが、これでもかというぐらい上手に描かれていて、うおー、わかるぞ、そう言ってしまう気持ち、そう行動してしまう気持ち、だってこれ俺じゃん!などと柴門ふみの漫画を読んで大学生が思うようなことを感じたりしてしまう自分がちょっぴり恥ずかしいの。
もし、物語に自己を重ねてそこにリアルなものを見いだすことができるとしたら、ぼくたちは自分の物語を相対的に読むことが出来るわけで、そのように物語を通じて自分たちを俯瞰することによって、普段の生活では発見することができないような世代の在り方を見いだすことが出来るかも知れません。けれども、それは二次的な結果であって、角田さんの小説を読んだときにぼくが面白いと思った感覚の説明にはなっていません。
もし物語に共感、あるいは「リアル」ということだけを求めるのであれば、おそらくインターネットで公開されている日記サイトに勝るものはないのではないでしょうか。インターネットの黎明期にはうんこだのごみだの言われていた個人の日記サイトですが、ここ数年でとんでもない広がりを見せ、今では個人で開いている日記サイトの他にも、誰でも簡単に日記を公開できるサービスもあったりして、そーとーすごい事になっています。しかも、その日記が妙に面白い。ぼくは「リアル」という言葉にはちょっと思い入れがあり、否定的にも肯定的にも使いたくないのですが、あえて使わせていただくと、日記サイトは下手な小説よりもずっとリアルです。だって、基本的には本当の現実を書いているわけですから。特に、個人が特定できていない、見知らぬ他人の日記なんかはとんでもなく面白かったりします。
小説があって、それを読んで共感を得たり、あるいはそのリアルな描写に自己を投影させたりすることが小説を読むときの楽しみのひとつだとしたら、書き手の存在が明確でないWeb上の日記サイトは、もしかしたら小説以上に読み手のこころを奪うものになるのではないか、などと思うことがあります。たとえば二十代、三十代の女性による日記サイト「シングルトンズ・ダイアリー」。
■シングルトンズ・ダイアリーこのサイトは、サイト内で公開された日記を集めて一冊の本にして出版しており、角田さんはまえがきとあとがきを書いています。残念ながら12月の16日でサイト内の日記の更新は終了し、12月25日で公開自体も終了してしまいますが、このサイトなんかを読んでいると、下手な小説よりもよほど共感や自己投影をすることができるでしょう。もちろん、書いている本人はそのまま現実を書いているだけなのだと思いますが。
同じようなことは以前にも書きましたが、そのときは日記の面白さに「自己投影」という要素は挙げていなかったと思います。今回も、角田さんの小説をぼくが面白く感じる要因を知りたいという過程で、日記という活字形態を例に出しただけで、ぼく自信が他人の日記に自己投影をして楽しんでいるということはまったくありませんが、物語に「共感」を求めるととき、はたして現実の記録としての日記に打ち勝つだけの力を 文学は持っているのでしょうか。それはもちろん持っているでしょう。それでは、その力とは一体なんなのか?角田さんの小説を読みながら、ぼくが本当に物語の主人公に自己投影して感情移入して、それを楽しんでいるのだとしたら、個人の日記にはなくて小説の中にある面白さとは、一体なんなのでしょうか。それは物語の中の「イベント」を越えたものであることは間違いないと思うのですが。
本当はね、角田さんの物語の中で深く考えさせられた部分について書きたかったのです。60年代後半から70年代前半に生まれた世代が、今どのようにして生きているのか。っていうか、あの世代って一体なんなのだろうということを。角田さんはそこら辺のことを書かせたら、おそらく今一番上手い作家さんですから。けれども、書き始めたら「どうしてぼくはこの小説がおもしろいのだろう」という事に意識が集中してしまいました。
角田光代さんの『愛がなんだ』は、Webで全編を読むことが出来ます。思いっきり恋愛小説でして、読みながら、わーお、これ俺じゃん!これ私じゃん!これあいつじゃん!なんて思う方もいらっしゃるかもしれません。お時間のあるときにでも、仕事をさぼりつつ読んでみて下さい。
せっかくのお休みですから、お友達を強引に連れ出して『アイリス』を観てきました。
はー、良い映画でした。不覚にも泣いてしまいましたよ。この映画は、マードック・アイリスという実在の小説家がアルツハイマーに侵されていく姿を描いた作品で、観る前に想像していたのは、「言葉」をもって世界を描く小説家が、武器である「言葉」をどんどん失っていくという苦悩を描いた映画だったのですが、いざ観てみるとそうではなくて、アルツハイマーの妻と彼女を愛する夫の、愛と苦悩の物語でした。身につまされる思いで映画に見入ってしまいまして。
マードック・アイリスという作家は、日本ではそれほど有名ではないので、その名前を初めて聞いた方も多いと思います。ぼくもこの映画で初めてその存在を知りました。文学だけではなく、哲学や戯曲にも優れた作品を多く残している方で、映画の中のほんの少しの発言からでも、彼女の造詣の深さを窺い知ることができます。
■Iris Murdoch Internet Resources
青山南さんがすばる文学カフェで連載している「ロスト・オン・ザ・ネット」の中で、彼女と映画のことが詳しく書いてあります。
■すうっと消えた作家の肖像(ロスト・オン・ザ・ネット)
このエッセイを読むと、光り輝いていた若い時代と、アルツハイマーに苦しむ年老いた時代にのみ焦点をあててアイリスを描いたこの映画に対して、文学者としての彼女のファンが戸惑っていることがわかります。先にも書いた通り、この映画は「マードック・アイリス」という一人の偉大な女性の生涯を描いた映画ではなく、あくまでも生涯を共に過ごしてきたある老夫婦の物語とみるべきなのでしょう。
自身もアルツハイマー病の母親を持つ監督のリチャード・エアは、「アルツハイマーの最も辛いところは、その人から本人自身や性格を奪い去ってしまうところです」と言っています。
今の僕の考えでは、個人という存在を規定するものは記憶であるということになるのですが、そうであるならば、記憶を失った個人は、もはや以前の個人ではないのだろうかという疑問が生じます。アルツハイマー病によって、過去の記憶と言葉のほとんどを失ったアイリスは、以前の「マードック・アイリス」とは別の個人になるのだろうか。答えはもちろん否です。
アイリスがたとえ記憶を失っていても、夫であるジョン・ベイリーが彼女と過ごした記憶を維持し、その記憶を愛し、彼女のことを愛している限りは、アイリスはマードック・アイリスであるし、記憶を失ってなお、アイリスがジョン・ベイリーを愛していたということは間違いありません。映画の中で現在と交互に映し出される若き日のアイリスは、単なる回想としてのフラッシュバックではなく、ジョン・ベイリーの記憶そのものなのです。マードック・アイリスがマードック・アイリスであるのは、彼女自身の記憶だけによるものではなく、彼女を愛するジョン・ベイリーという存在によってなのではないでしょうか。愛する人が自分を失ってしまったとき、その人をその人たらしめるのは、その人を愛する人だけなのです。
男友達が多く、性的に奔放な若き日のアイリスに対して、ジョン・ベイリーが自分への愛を詰め寄るシーンがあります。そのとき、アイリスはジョン・ベイリーに「You know me more than anyone. You are my world.」と言います。ぼくにはこの最後の「You are my world」が「You are my word.」に聞えて、なんとなく感動をしたのですが、「You are my world」だったのね。ちぇ。
良い映画を観たあとは、長い時間散歩するに限ります。ゆっくりと、頭の中で、映画を反芻いたしましょう
雑誌『東京人』の今月号の特集は、「文士の食べ歩き」です。
殿山泰司から伊丹十三まで、いろいろな文士様のちょっとしたエピソードを交えながら、行きつけのお店などを紹介しております。ぼくは食には疎いほうなのですが、文士様にまつわる食べ物のお話がとても好きで、そのようなものを読んでいると味も良く判らないくせに文士様と同じものを食べたくなってしまいます。そんなに美味いものがあるのなら、食わねば損だわな、などと。
つい先日、内田百間先生の『御馳走帖』を購入しました。まだ半分程度しか読み終えていませんが、これがまたとても素敵な随筆で、戦争のためにまともに美味いものを食べることができなかった内田さんが、過去を振り返りながらしたためた、食べ物に関する文章を集めたものです。
どの文章もとても楽しく食指をそそるのですが、その中に『油揚』という段があります。『油揚』は、こんな感じに書き始まります。
志保屋の若様が、近所の子供と一緒に買ひ食ひをしてはいけないと、よく云われた。しかし古京の曲りの八百屋で、砂糖木を買ってかじつたり、後にその店に据ゑつけた硝子張りの箱の中に、砂糖醤油で煮つめた鯣がうまさうに濡れてゐるのを見て、我慢が出来ないから、内証で買つて食つた。
志保屋の裏には、三畳敷の部屋ひとつに三人で暮らす親子がおり、そこの子供と仲良しだった内田さん、ある日その家に遊びの誘いに行きます。すると、家の中から美味そうな匂いがして、「かかん、これん、一番うまいなう」というその子の声が聞えます。
内田さんが家の中を覗くと、その子は油揚げの焼いたのを食っていました。
内田さんは走って家に帰り、晩飯に油揚げを焼いてもらいます。
じゆん、じゆん、じゆんと焼けて、まだ煙の出てゐるのをお皿に移して、すぐに醤油をかけると、ばりばりと跳ねる。その味を、名前も顔も忘れた友達に教はつて、今でも私の御馳走の一つである。
ああ、美味そう。まじで油揚食いたい。頬張りたい。
その他にも、物心がついた頃からたばこを吸っていた内田さんが語る煙草遍歴『菊世界』とか、何も食べるものがなくなった戦時中に、自分の食いたいものをただ書き上げただけの『餓鬼道肴蔬目録』、教師をやめた後の生活を書いた『百鬼園日暦』など、本当にすべての文章がとても良くて、ぼくも今日からは、朝食は牛乳とABCクッキーと林檎、昼はもりざる蕎麦、夜は山海の珍味を肴に酒を飲むことにします。
最近、お酒は出来るだけ日本酒を飲むようにしているのですが、それは尊敬する吉田健一さんの『酒肴酒』を読んだ影響でして、とにかく酒のうまさを延々と語るこのエッセイ、日本酒をまったくおいしいと思わないぼくは、これを読んで以来、人生の半分を損しているような気がしてなりません。吉田さんは、日本酒を飲み始めると肴のことを忘れてしまうことに言及して、以下のように書いています。
日本酒にはまた、飲めば飲むほど、それだけでますますうまくなって行く性質があって、北条時頼が小皿に入れた味噌を肴に飲んだという話はその倹約をもの語るよりは、北条家にいい酒があったことを示すもののように思われる。つまり、日本酒に関する限り、肴のことをどうのこうのいうのは通振ることになるきらいがあって、その通人振っているのが飲む酒の質まで疑わしくする。
しかし、実はぼくは非常に日本酒下戸でありまして、本日も気が置けない友人たちと五合ばかり飲んできたのですが、もうまずくてまずくて何度吐き出してやろうかと思ったことか、おまけに頼んだ焼き魚の骨の多いこと、一口食ってやめてしまいました。ぼくの食通酒通への道のりは遠いようです。
鉄割のみなさんは、特に男性の方々は食通の方が多くて、日頃みなさんの手作りの料理などをよく食べさせていただいております。また、舌の方も下の方も大変こえているので、いろいろとおいしいものを教えていただいたりもするのですが、いかんせんぼくは食に疎いため、いまいち話題についていけておりません。残りの人生、存分に食を楽しめるようになりたいと、心より願う次第でございます。
今年のクリスマスは食通のお友達の家ですき焼きです。今から楽しみ。
■原因は鉄分不足! ベジタリアン食が、子供のIQ発達にブレーキ
知ってますか?草食だとうんこが臭くないのですよ。なのでベジタリアンの方はうんこが臭くないのです。
IQ高いけどうんこが臭い子供と、IQ低いけどうんこが臭くない子供、あなたならどちらを選びますか。ちなみに戌井さんはIQ低くてうんこが臭い子供だったそうです。
「ぼくはIQが高いのですよ」などと自慢気にいう方に毎年ひとりは必ず会いますが、それはつまり「ぼくはうんこが臭いのですよ」と鼻高々に自慢しているようなものです。気をつけませう。
ここ数年来、金がないので自分で髪の毛を切っているのですが、どうもこのところ髪の毛の問題で切るのが難しくなってきまして、つい先日も風呂場で鏡を見ずにばりばりと髪の毛を切ったところ、おかしなことになってしまいました。
今日はオンピーちゃんの練習がありまして、つかたんつかたんとドラムを叩いてきたのですが、練習後にお酒などを飲みながら気持ち良く談笑していた折、お前の頭はもずくみてえだなと、ちんげみたいな髪の毛の男に言われました。
ちんげにもずくと言われるなんて、わたくしの人生も悲しいものです。
その後、ちんげとメガネは酒に呑まれて居酒屋の真ん中で気持ち良さ気に良さ毛に踊っておりました。
帰り際、ちょいと寄ったちんげ宅でプレステ2に熱中。とんでもなく面白く、ぼくも来月にでも購入してしまいそうです。
そんなオンピーちゃんのライブがね、あるのですよ、25日に。でね、驚いたことにノルマ制なんですって。ですから皆さん、お時間のある方もない方も、ぜひとも遊びにきてください。一緒に遊びましょう。お酒を飲みましょう。クリスマスパーティーと忘年会と新年会を一緒にやる感じで。その際には、iron@tetsuwari.comまでメールをいただければ、チケットをお取り置きしておきます。お願いですから、来て下さい!絶対に楽しませますから。詳しくは、オンピーちゃんのサイトや、鉄割のスケジュールを見て下さい。
鉄割の方々も、親しき仲ではありますが、お願いだから金を払って観に来てください。全員。
失恋したときと酔っぱらったときは日記を書くなと世間では申しますが、本日もわたくしはぺろぺろに酔っぱらっておりまして、このような文章を書くには極めて不適切な状態ではありますが、眠る前に酔いを覚ます意味も込めて書かせていただいております。
ぼくのお友達にはいろいろな表現活動をされている方がおりますが、その中でも絵を書いている方は比較的多く、そのような方の作品に接するときには、出来るだけ友人であるという前提を抜きにすることが礼儀であろうと思っております。友人だから作品を褒めるとか、けなすとか、そうではなくて、飽くまでも素の状態で作品に接し、評価すべきであろうと。うふふ。生意気かしら。そんでね、今日はちかげちゃんに絵をもらったのですが、ぼく、正直にちかげちゃんの絵が大好きなのです。色とか、線とか、観ていてとても気持ちがいいの。
そんで一枚、絵を頂いて帰ってきたところ、家にあった額縁にちょうどぴったりと収まりまして、早速どこに飾ろうかと思案中です。
本当のことを言えば、このゴリラの絵がとても好きでこの絵も欲しかったのですが、ちかげちゃんもこの絵を気に入っているらしいので、断念しました。
夜は夜でまた友人宅でお酒を飲みまして、今日は何を呑んだかしら。ワインを飲んで、シャンパンを飲んで、ラム酒を飲んで、ウィスキーを飲んで、焼酎を飲んで、ビールを飲んで、日本酒を飲んで、アセロラドリンクを飲んで、もう胃がぐちょぐちょです。そんですき焼きを食べて。ケーキも食ったな。すんごい美味かった。ごちそうさまでした。
途中、お父さんがとても良い歌を歌ってくれました。
息子さんも負けじと歌ってくれました。
お友達の本棚にあったカルヴィーノの短編集をパクってこようとしたのですが、酔っぱらっていたせいか見つかってしまい断念。今度行ったときこそは、ばれずにパクれるように頑張ります。
おんぴーちゃんのライブ。来て下さい。お願いします。
本日は鉄割の本番の日なのですが、ぼくは今回は参加しておらず、参加していないところで宮永に行っても鉄割の皆さんの邪魔をしてしまうかしら、などと思いながら上野を逍遥していたとところ、東京国立博物館で『パキスタン・ガンダーラ彫刻展』『インド・マトゥラー彫刻展』がやっているのを発見、そういえば以前にちらしを観て、行こうかなあと思っていたのを思いだし、時間つぶしがてら仏像観賞をすることに致しました。
御存知の通りインドでは、仏教は十三世紀ぐらいで衰退しておりますから、畢竟その地のいずれの仏像もそれ以前のものということになるのですが、今回の展覧会ではその中でもマトゥラー派の仏像、二世紀から六世紀までの仏像を展示しており、いろいろな意味でとても面白く勉強になった展覧会でした。
インドのマトゥラーという国は、クリシュナ神の生誕の地として有名ですが、その他の宗派にとっても重要な地とされていたため、さまざまな宗教の数々の建造物が建てられました。今回の展覧会ではその中の仏像のみを展示しているのですが、仏教に取り込まれたヤクシャ、ヤクシー、ナーガ、ラクシュミーなど民間神の像などもあって、これがすごく良かったです。
マトゥラーの仏像を見ていると、そのいずれもがブサイクなことに気付かされます。日本の飛鳥時代の仏像のブサイクさもひどいものですが、まだ愛嬌があります。マトゥラーの仏像は、笑いにもならない程度の中途半端なブサイク加減で、創っている側にあまり釈迦に対するイメージがなかったような、惑いの印象を受けます。その点、しつこいようですが土着の神々の像はすごく良くて、おっぱいをがーっとわしずかみにしていたり、まんこに思いっきり縦線入っていたり、びっくりするような笑顔を見せていたり、やっぱり土着の神様だけあって、創った人々が明確なイメージを持っていたことがわかります。
ガンダーラの仏像は、さすがは東西の中継点というべきか、弥勒菩薩なんかはがっしりとした体つきに髭なんかたくわえてしまい、さながら金持ちの貴族風な顔をしていて、絶対に五十六億七千万年待たないだろうという佇まいがとても良かった。全体的に、マトゥラー仏像のやわらかさと比べると、筋骨が隆々としていて、以前に別の展覧会に行ったときにも思ったのですが、隙がないというか余裕がないというか、やさしさがいまいち感じられない。それから、ギリシア彫刻の影響を受けたのは判るのですが、
これを帝釈天と言い張るのはやめていただきたい。お前は絶対にギリシャ神話だ。
両展覧会を見ると、それぞれの文化がそれぞれに与えた影響がよくわかるし、それらの文化が時代を経るごとに、仏像の形式が変化していく様も見ることができます。しかし、もともと仏教では偶像崇拝は禁止されていたため、初期仏教の段階では仏像というものは存在しませんでした。そのため、釈尊を描くときには別の象徴物を用いて表現していて、それらの仏陀を台座や仏足石で表している彫像はこの展覧会でもいくつか見ることができるのですが、それでは仏像は一体いつから創られ始めたのでしょうか。
展覧会を見終えて一階に戻ったところで、そのことに関するビデオが流れていました。五分程度の短いビデオの中で説明していたことによると、パキスタンのチラス渓谷にあるストゥーパのひとつに、手足のついた小さな絵が描かれており、その傍に「シャカ」と記されているのですが、これが釈尊を偶像として描いた最初なのではないか、とのことでした。この小さな図像が、やがてストゥーパを飛び出して像となり、世界中に伝播していったのです。
あー仏頭っていいなあ。大好きよ、仏頭。家にひとつ、凛々しい仏頭を置きたいよう。
写真家であり、鉄割がとてもお世話になっている長島有里枝さんが、雑誌「流行通信」で現在連載中の「子育て通信」のWEB版「電子子育て通信」をオープンしました。
僭越ながらぼくもデザインのお手伝いをさせて頂いているので、手前味噌になってしまうかもしれませんが、とてもかわいいサイトで、長島さんの日々の子育て日記と写真はマジで必読必見です。日記はほとんど毎日更新されますから、月一回の「子育て通信」では物足りない長島さんファンの方は要ブックマークですな。ぼくもいちファンとして、毎日楽しみにしています。
まだ、各環境によるブラウザチェックが完全ではないので、もし何か不具合があったらwebmaster@denshikosodate.comまで教えていただけると幸いです。ちなみに、InternetExplorer5.0以上、Mozilla1.0以上、Netscape1.0以上が対応ブラウザです。
柳田国男の『妖怪談義』を読んだのが今年の夏の始めぐらいで、それから民俗学としての妖怪の研究書のようなものを何冊か読んでみましたが、いやはや、民俗学がこんなに面白い学問だとは思いませんでした。といっても、民俗学を専門にされている方に言ったら怒られてしまいそうな阿呆な読み方しかしかしておりませんが。
以前にもちょいと触れましたが、現代の都市伝説などを丹念に研究している民族学者に宮田登さんという方がいます。この方、2000年に逝去されてしまったのですが、著書である『妖怪の民俗学』が今年の夏始め、偶然にもちょうどぼくが『妖怪談義』を読み終えた頃に文庫化されました。以前から読みたいとは思っていたものの、文庫が1000円とはちょいと高いよう、といまいち納得できず、購入を控えていたのですが、先日本屋でほんの少し立ち読みしたところ、やたらと面白くて思わず購入、速攻で読み終えました。
『妖怪の民俗学』は、柳田が説く「神の零落した存在としての妖怪」の概念に疑問を呈する小松和彦の主張の紹介から始まり、更に『妖怪談義』に書かれている「妖怪とお化けの違い」に言及します。詳しい内容は、ぼくが説明するよりも本書を読んでいただければ良いと思いますが、宮田氏はお化けと妖怪に抱く人間の畏怖の感情について、以下のように書いています。
妖怪と幽霊を現象面で完全に分けて説明することは柳田のいうように有る程度は可能である。しかし、この怖いという内容については、十分に区別がついているのかどうかは問題である。むしろ怖いと思っている内容を比較してみる必要があるのではなかろうか。そこで、妖怪の古くからの存在と、妖怪の新しい存在とを、もう少し細かく分けて検討してみる必要があると思われる。
宮田氏はこの本の中で、日本における「恐怖心」や、場所が人々に与える影響、さらにそのような現象に関わる「女性」の存在などを、さまざまな逸話や言い伝え、現代に起こった事件や現象などをとりあげ、分析します。柳田の著作と比べると、書き方に若干の超常主義的な匂いがしないでもないですが、それはまあ、各個人がフォークロアに接する際の態度の違いに過ぎませんね。
都市のなかを歩くときに、その点につねに注意していく必要がある。追いつめられていた霊力が、どういう場所に出現してくるのか、言い伝えを残している場所には、いったいどういう経緯があって、超自然的な力が発揮すると考えられていたのかというような観点で、フォークロアを探っていくと、そこには古来日本人の抱いているカミあるいは聖地、あるいはまた妖怪とか怨霊という表現が生きてくるのである。そしてそういうものを生み出してきた日本人の精神構造をとらえることも可能になってくるということだろう。
この本では、おばけのQ太郎から口裂け女まで、かなり広範囲にわたって多くの民俗を取り上げています。その中で、妖怪について語るときには必ず名前が出てくる井上円了という学者さんについても言及しています。
井上円了という人は、民俗学の世界ではお化けや超常現象を科学的に解明しようとした人ということで有名ですが、実はばりばりの哲学者で、仏教を西洋哲学を基盤とした再解釈を試みようとしたとても偉い学者さんなのです。ちなみに、中野にある哲学堂公園は、この円了さんが創ったほとんど冗談みたいな公園です。
円了さんは、日本が西欧の文明に追いつくためには、妖怪や超常現象等、迷信のたぐいをすべて客体化しなくてはならないという信念のもと、日本全国のお化け話を収集し、ひとつひとつその原因を解き明かそうとしました。『妖怪の民俗学』の中でも、円了さんが暴いた超常現象の実例がいくつか紹介されています。現代で言えば、ちょうど大槻教授がやっていることと同じようなことですね。
日本中のおばけ話を収集していたという点では柳田さんと共通するものの、円了さんはそれらの妖怪や幽霊、迷信の中に人間の精神を読み取ろうとはしませんでした。そのような迷信や妖怪は「民衆が自己の心鏡に照して知るべからざるもの」であり、それを解明することが学者の使命であると信じており、そこが柳田さんと相容れないところでした。しかし、円了さんが超常現象・怪奇現象のすべてを否定してかといえばそんなことはなくて、収集した怪奇現象を「偽怪」「誤怪」「仮怪」「真怪」の四つに分類し、どうしても説明できない現象を「真怪」とし、それは「人智をもって知るべからざること」であり、その領域に関しては解明が不可能であると定義しました。そこらへんが大槻教授とは違うところでしょうか。
円了さんが迷信を撲滅しようとしたのが明治二十年代。それから百年経った現在に置いて、日本から迷信が撲滅したかといえば、言うまでもありませんがそんなことはなくて、妖怪話は形を変えて存在しています。『妖怪の民俗学』の中でも取り上げていますが、いわゆる「都市伝説」がそれで、おそらく一般的には真実だと思われているような事でも、調べてみると都市伝説だったということは珍しくありません。けれども、都市伝説は真実ではないのだからそれを排せよ、と言う考え方は、人間の精神の面白さを完全に無視した意見であり、その都市伝説の下に人間の精神の面白さを見るほうが、よほど学問的にも有意義だし、あるいは都市伝説に惑わされるのも、なかなか楽しい生き方なのではないか、と。
先日読んだ唐沢俊一、唐沢なをきの『脳天気教養図鑑』の中に、都市伝説を扱った『噂の噂』という章がありました。これなんかを読むと、「北朝鮮は海辺の日本人を海底戦車でさらいスパイにしたてあげる」ということが都市伝説として取り上げられていて、まあ、海底戦車とか、スパイとかは誇張だとしても、今にして思うとあながち「伝説」でもないわけで、都市伝説と言われているものの中には、隠された事実も身を潜めているのではないか、などと思っちまいました。まあ、海外で発見されるだるまの日本人女性の話は、100%都市伝説だと思いますけど。
『妖怪の民俗学』のことを書こうとしてすっかり話がそれてしまいましたが、この本は妖怪好きの人にはいまいち物足りないかも知れませんが、とにかく取り上げる実例が広範囲かつ膨大であり、そのような実例の多くに女性が関わっていることや、場所の関連性、都市空間の持つ魔性などを「現代」の事例を元に論じているため、非常に読みやすくかつ興味深い内容になっていると思います。特に個人的には辻や橋、境など、人が異界へと足を踏み入れる「境界」、七不思議、怪音などに焦点を当てて論じた第三章『妖怪のトポロジー』が非常に興味深く読むことが出来ました。
しかし円了さん、鬼門にトイレを作ってはいけないという迷信を打破するために、わざと自分の学校の鬼門にトイレをつくったり、寝るときは必ず北まくらで寝たりして、小さいところからこつこつと、なかなかかわいらしいところもあるのです。ちなみに鬼門にトイレを作った学校は火事で全焼してしまいましたとさ。
妄雲を払て真月を見、偽怪を排して真怪を顕さんと欲す - 井上円了
暇なときは散歩をしているか、カフェに行っています。
カフェでは出来るだけおいしいコーヒーを飲みたいと思ってはいるのですが、ぼくの場合、カフェに数時間居座ることが多いため、コーヒーの味よりも、居心地の良さに重点を置いてしまい、居心地さえよければ多少のコーヒーのまずさは我慢してしまいます。けれどもやはりおいしいコーヒーを飲みたい。
コーヒーに関する有名な言葉にこんなのがあります。
Coffee should be black like the devil, hot like hell, and sweet as a kiss.
ハンガリーの格言らしいのですが。悪魔のように黒く、地獄のように熱く、キスのように甘く、コーヒーとはかくあるべし。そんなふうに言われると、奥村君のちんちんを思い出してしまい、おいしいコーヒーもまずくなってしまいそうですが、いやはや、うまいことを言ったものです。やっぱコーヒーは甘くないとね!
そんでそんな食べ物や飲み物に関する古今東西の言い表しを集めたサイトがありまして、眺めていると人類がいかに食べ物を楽しんできたのか、愛してきたのかがわかります。
最近は、自宅ではコーヒーのかわりに中国茶を飲むことにしているのですが、やっぱコーヒーが好き。
ニューズウィーク2002年12月18日号に、「もう止まらない、グーグル革命」というコラムが掲載されました。ニューズウィークのサイトでメンバー登録をすれば、記事のバックナンバーを読むことが出来ます。
上の記事では、Googleを利用して刑事事件の調査を行う人、昔の恋人の近況を調べる人、「Googleなしでノンフィクションの本を書くなんて、とても考えられない」と断言する作家、危ないところで命を助けられた人など、ほんまかいなと突っ込みたくなるような人がたくさん紹介されています。まあ、一度Googleの便利さを知ってしまうと、他のロボット型検索エンジンを使う気にならないのは確かだけど。
雑誌『本とコンピュータ』2002年冬号には、『Googleに頼りすぎるな』という記事が掲載されています。これはまあ、さほど面白い記事でもなかったのですが、要約すると、ページランクによって検索結果の表示順が決定するGoogleを利用することによって、ユーザが「Googleをとおしたウェブ世界の見方」に閉じこめられてしまう、だからもっとメーリングリストなど人のつながりを大事にしなさい、という、ぼくの大嫌いな「あなたたちは馬鹿だから、もっと私のまねをしなさい」的な、いわゆる立花隆調記事です。
Googleを絶対視も神聖視もするつもりはさらさらありませんが、良くも悪くもGoogleのこの二年間の躍進ぶりは凄まじいものでして、ぼくもネットを使う日でGoogleを使用しない日はおそらく一日もありません。だって、なにか知りたいことがあったら検索すれば山ほどの情報が手に入るのですもの。その内の九割がうんこ情報だとしても。
例えば、昔見た映画で、ものすごく見たいのにどうしてもタイトルが思い出せない映画があったとします。ぼく、すげー昔に観た映画で、大竹まことが出ていて、ホテルで見知らぬ女性と相部屋になってしまい、大げんかをするけど次の日にその女性がチェロを弾いているという作品があるのですが、それがどうしても観たくなったので、Googleで「大竹まこと 映画 チェロ ホテル」で検索したら、一発で出てきました。『ボクが病気になった理由』です。思いつくキーワードを入力すれば、それが「情報」であるかぎりは、だいたいは知ることが出来るのよ。
ところで話は少しそれますが、2002年7月にネットレイティングス社によって発表された検索語ランキングを見ると、一位が「Yahoo」で、二位が「2ちゃんねる」、「アダルト」は五位にランキングされています。先日ある友人から、このランキングは、アダルト関係の検索語が排除されたものだ、と聞いたのですが、この五位の「アダルト」とは別に排除されているのかしら。ぼくはてっきり、インターネットで一番利用されているのはアダルトサイトだと思っていたので、このランキングを見たときはちょっと意外だったのですが、アダルト関連が排除されているとしたら、ランキングする意味はあまりないような気が。
スタンフォード大学の大学院生二人の研究から誕生したGoogleの今年の収益金は、株式を公開していないにも関わらず、推定で一億ドルだそうです。わずか二年足らずよ。一時期のYahooやNetscapeを思わせる成長ぶりです。
タイトルがどうしても思い出せないけれどももう一度観たい作品、ということで思いだしたのですが、超常現象を完全に否定するある大学教授が、心霊現象の原因を探って欲しいと招かれたある家で、世にも奇妙な体験をする、というストーリーの映画を数年前に観ました。イギリスが舞台で、映像がとても美しいのが印象的な作品だったのですが、タイトルド忘れ、監督ド忘れ、役者ド忘れ、でビデオレンタルに行ってもどこを探しゃいいのかわかりまへん。
そんなときはやっぱりGoogleです。「超常現象 否定 教授 イギリス 映画」で検索したところ、おー!出てきました。タイトルは『月下の恋』。プロデューサーはコッポラ。ビデオでは、原題に合わせて「ホーンテッド」にタイトルが変更されているらしい。早速ビデオレンタルで借りてきて観ました。
1928年のある日、超心理学を研究する大学教授デビッド(クイン)の元に、幽霊に取りつかれたという老婦人から相談の手紙が舞い込む。「幽霊など存在しない」という持論のデビッドは、彼女の住むウエスト・サセックスの屋敷を訪れ、若い娘クリスティーナ(ベッキンセール)と出会う。
イギリスの田舎の映像は美しいし、物語もぼく好みだし、映画全体の雰囲気もとても良く、やっぱり面白かった。ヒロインのケイト・ベッキンセールがとてもいい感じなのですが、服を脱ぐ瞬間にカメラが切り替わって別人のおっぱい!で、それがちょっと残念でした。別におっぱいが見たいわけではないけど。
ケイト・ベッキンセールって、もう少し売れても良いと思うのですが、やっぱちょっと地味顔なのかしら。一応、ファンサイトをリンク。
先日、ビデオレンタルで『イレイザー・ヘッド』を借りて久しぶりに観賞していた折、ふとイワモトケンチさんのことを思い出しました。
イワモトケンチさんはもともとは漫画家さんでした。というか映画監督を志した漫画家さんで、映画を撮るには金がない、漫画を書けば金になる、ならば漫画をかこうかしらん、ということで漫画を描いていた漫画家さんでした。ぼくが彼の作品に初めて出会ったのは、本屋で『精神安定剤』という作品を立ち読みをしたときなのですが、おそらくはギャグ漫画であろうその作品を読んで、げらげらと人目を憚らず笑い転げ、読後、あまりの衝撃に立ちすくみました。なんなんだ、この漫画は。こんな漫画が存在するはずがない。ぼくは夢でも見ているのかしら。その衝撃は、それまで経験したことがない感覚でした。
本来であれば直ぐにでも購入をしたかったのですが、なにせ金のない学生でありましたから、その時は購入することはできませんでした。仕方がないので、毎日のように学校帰りに本屋に立ち寄り、誰も買うはずのない『精神安定剤』を何度も何度も立ち読みし、その漫画の存在が夢ではないことを確認しました。しかしある日、いつものように本屋に行くと、『精神安定剤』は姿を消していました。あの漫画を買う人間がこの辺りにいるとは思えないので、おそらく出版社に返品されたのだろう、と思いました。
その後バイトなどを始めて、ある程度金を自由に使えるようになってから、都内に遊びに来た折などに、本屋をあちらこちらと巡って『精神安定剤』を探し求めたのですが、不思議なことにどこに行っても売っておらず、調べてみるとなんと版元が倒産したとか。泣きそうになりながら古本屋を巡っても一向に見つからず、あげげと思ってがっかりしていたところ、なんと『ライフ』というイワモトケンチの新しい単行本が発売されました。喜び勇んで買い求め、貪るように読みあさりました。
『ライフ』の後書きには、漫画家イワモトケンチのファンであったぼくにとって、衝撃的な決意が表明されていました。もうマンガを書くのはやめて、本業である映画撮影を開始する、と。
そんである朝起きて、テレビでニュースを観ていたら、「元漫画家イワモトケンチさん、ベルリン映画祭で新人賞受賞」などというニュースが放送されており、たいそうたまげたわけであります。有言実行だなイワモトさん、と。
受賞したのは、『ライフ』の後書きに書いてあったとおり『菊池』という作品でした。当時まだ地元にいて、且つお受験などを控えていた僕は、東京の単館でのみ上映されていたその映画を観ることは出来ませんでした。今にして思えば、受験なんかよりも『菊池』を優先するべきだったのですが、ぼくもまだ若かったのですね。
大学に入学して上京し、一年ほど経ったある日、イワモトケンチさんの新作『行楽猿』が公開されました。もちろん、先行ロードショーを観に行きました。それまで僕が観てきた数少ない映画とは、質が全く異なる作品で、終了後もしばらく席から動くことが出来ませんでした。劇場を出ると、奇妙な風貌のイワモトさんが立っていて、勇気を出して話しかけようとしたのですが、あまりにも佇まいが恐ろしくて、話しかけることが出来ませんでした。
後日、『菊池』と『行楽猿』の両方を観た方から、『菊池』は『行楽猿』の数倍おもしろかったと聞いたとき、やはり『菊池』は観に行くべきだったと、心から後悔しました。
その翌年、今度はテレビで『CONFIG.SYS』という、複数の監督によるショートドラマのオムニバスが、イワモトさんの総合演出により放映されました。もちろんS-VHSで録画して永久保存版にしました。とても短くて連続性のないお話を連続して放映するという、現在の鉄割と同じようなスタイルのその番組を、当時の大学の同級生や先輩の中で唯一観ていたのが戌井さんで、この番組の話がきっかけで彼とはお友達になりました。あのきっかけがなかったら、友達になったかどうかは怪しいものだと、未だに思っております。
大学を卒業して都内に引っ越し、イワモトケンチの名前をすっかり忘れていたある日、近所にある小さな古本屋で本をあさっていたところ、あるはずがない本が目の前に現れました。真赤な表紙には、見覚えのある絵が描かれており、その上には白抜きで「TRANQUILIZER KENCHI IWAMOTO」とありました。本を持って手が震えたのは、後にも先にもあのときだけです。上京したての頃に探し求めていた『精神安定剤』が、ようやく手に入ったのです。
ぼくが人生の中で影響を受けてきたものの中で、イワモトケンチという方はとても特殊な位置にいると思います。中学、高校と、姉の影響もあっていろいろな漫画を読んだし、いろいろな音楽を聴いたし、いろいろな絵を観たし、いろいろな映画を観てきましたが、『精神安定剤』を読んだことによって、その後のぼくの進む道(というと格好悪いけど)が一気に折れ曲がったように感じます。今、ぼくが本を読んだり、映画を観たりすることによって得ようとしている「何か」は、昔本屋で『精神安定剤』を読んだときに感じた、絶対に言葉にすることはできない「あの感覚」なのだと思います。大人になってしまったぼくは、学生だった頃のぼくと同じように本を読むことはできません。「あの感覚」は、おそらくあの時にしか得られない感覚だったのでしょう。けれども、今のぼくにしか感じることの出来ない「あの感覚」は確実にあるはずで、それを探し続けているのです。
それで、イワモトさんのことを思いだしたついでにYahooで検索をしてみたところ、イワモトさんのサイトを発見しました。
以前に観たときは日記が掲載されていたのですが、現在はリニューアル中とのことです。早く再開しないかしら。一ファンとして、とても楽しみです。
『菊池』を作った時はとにかく全部がノーだったのです。ひとつもイエスはなくて、全ての現状にノーだったのです。パンク少年みたいなものです。(イワモトケンチ)