02年05月01日(水)
ぼくの毎日の散歩道に、いつも一緒にいる猫のカップルがいます。

ねこのカップル


カップルと言っても、実際に片方がオスで片方がメスなのかどうかは分からないのですが、なんとなく雰囲気がカップルなのです。

天気の良い日は車の上で二匹で日なたぼっこをしているし、雨の日は傘の下で二匹で丸まっています。
えさをもらえば二匹で食べて、眠るときも必ず二匹で寝ています。
とても仲が良くて、毎日二人の様子を見るのがとても愉しみでして。

いつもあそこに丸まってるの


しかし、ここまで二匹一緒に生活をしていると、片方が逝ってしまったとき、残されたもう一匹はどうするのだろう、とつい考えてしまいます。

江藤淳は41年間連れ添った愛妻を癌で失ったその数ヶ月後に自殺をしているし、ジョン・レノンは「ヨーコがいない世界なんて考えられないから、一秒でも先にヨーコより早く死にたい」と言った数日後にファンに殺されています。
モディリアーニが死んだ次の日に、かれの妻であるジャンヌは飛び降り自殺をしているし、義経が自害した数ヶ月後に、静御前はあとを追うように亡くなっています。

などと、人間であるぼくは余計なことを考えてしまうのですが、とにかくこの二匹の猫が大好きです。

雨の日の黙想


雨の日に、家に人が用意してくれたと思われる傘の下で二匹で丸まって寝ている姿をみると、ぼくも老後はこのように過ごしたいと、つくづく羨ましく思います。
雨の日に、窓を全開にした部屋で、雨音に傾聴し、様々な具にもつかない、とりとめのないことをゆっくりと黙想す。

理想の生活でございます。
02年05月02日(木)
阿弥陀如来信仰では、人は臨終に際して、西方極楽浄土を想い描く事によって成仏を遂げんとすると言いますが、「もしいつか自分にも死ぬ日がきたら、臨終までの数時間は、一生に飼った猫たちのことを、順に思いだして明るいものにしたい」と申したのは大佛次郎でして、彼のこの言葉は僕はとても良く理解できて、もし猫がいなかったら、この世界がどれほど暗澹としてしまうか、考えただけでも恐ろしいものがあります。

猫好きの文学者といえば、先にあげた大佛次郎、「ノラや」の内田百ケン(けんの字がない)、池波正太郎などなど。皆さま、猫に対する愛情たっぷりのエッセイや作品を書いています。
文学と猫というのは、なかなか密接な物なのね。

太陽1997年5月号の「猫と作家の物語」という特集では、作家と猫、文学と猫、芸術家と猫のとてもこころ暖まるお話がたくさん載っています。
ヘミングウェイが飼い猫を銃で射殺した話とか、谷崎潤一郎が偏愛のあまり死んだ飼い猫を剥製にして飾っていたとか。

来世というものがあるかどうか、僕未だこれを知らない。仮にもそれがあるならば、そこにもこの地球のように猫がいてくれなくては困ると思うのである。

大佛次郎のこの一言が、猫好きの本質をついておるのではないでしょうか。

もう、猫飼いたい。飼いたい。飼いたい。
02年05月03日(金)
猫ついでにもう一つ。

鈴木大拙とは誰か」に以下のような写真と文章が出ています。

眠る


猫が眠る。大拙先生も眠る。猫の眠りが大拙を眠らしめ、大拙の眠りが猫を眠らしめる。
猫は大拙先生を眠り、大拙先生は猫を眠る。ソファーも眠り、机も眠る。共に眠りえるということ。猛虎と眠る寒山を描いた二睡の図が想われる。


猫を飼いたい。

鈴木大拙さんも猫がとても好きだったようで、生徒に輪廻転生について問われて、以下のように応えています。
(参考)

『先生は本当に輪廻転生を信じているか?』と学生から質問されると『わしゃ猫が好きでなあ、ことによったらわしの前世は猫だったかも知れないなあ』と実感で答える。学生はこれを聞いて納得する。理屈以前の世界からおっしゃっているので相手の疑問が消えてしまう。

猫。
02年05月04日(土)
そんで先日古本屋で、「猫百話」という、ラブレーから村上春樹まで、古今東西の猫に関する文章を集めた本を見つけました。柳瀬尚紀編。ジョイスの翻訳家として有名な方です。

この本、とてもおもしろいのが、作家や芸術家による猫に対する偏愛的な文章を集めているのではなくて、単に猫に言及している文章を集めているのです。
例えば、収録されている一編である河上徹太郎の「吉田健一」では、単に吉田健一と彼の初めての出会いを描いたものです。

見ると猫背で、手頸などにおんなのようなしなを作る青年が、静々とはいって来た。彼の第一印象は、寒がりだということであった。足許にガス・ストーブをかんかんつけたソファーの上で、猫のように頸筋と尾てい骨を同じ角度の抛物線を曲げて蹲り、短くなった煙草を指先を舐めるようにうまそうに吸い、そのままいつまでもうっとり坐って御満悦なのである。

関係ありませんが、なんだかこの部分だけ読むと、ポーの作品みたいですね。この青年が、あとで事件を起こすの。

話を戻します。
この本には、その他、イギリスの民話に登場する猫や、哲学書で例として挙げられている猫、小説でいつの間にか出ていつの間にか消えている猫、ラブレー「ガルガンチュア物語(!)」の、うんこをしたあとに猫でケツを拭いたら引っ掛かれた話、答えが「猫」のなぞなぞを集めたものなど、本当に多彩な猫話が網羅されています。

しかも、バーセルミの(当時は)未訳の作品まで入っている!

猫好きの、猫好きによる、猫好きのための猫偏愛記みたいなものは、正直なところ読んでいると疲れてしまいます。
そんなものを読むよりも、自分で猫をかわいがったほうが楽しいし。

それよりも、この「猫百話」のように、さりげない猫のお話の方が、読んでいて本当におもしろい。
文章に猫が出てくるのなんて当たり前に考えておりましたが、こうしてまとめて読むと、猫と人間の関係、思っていた以上になかなか興味深いものであります。
02年05月05日(日)
折角のゴールデンウィークでなので、「真夜中のサバナ」をもってサバナに行こうかとも思ったのですが、それもままならないので、国木田独歩君の「武蔵野」を持って武蔵境を散歩しました。バイクで家から20分。

武蔵野です


武蔵野の俤は今わずかに入間郡に残れり」と文政に出来た地図で読んだ独歩君は、「武蔵野の美今も昔に劣らず」と書いています。
文政から明治への時間間隔と、明治から平成への時間間隔では、年数だけでは計り切れないものがあるので、独歩君の逍遥した武蔵野の面影はもはや残っていないだろうななどと、ほとんど期待をしないで行ったのですが、なかなかどうして、武蔵野の詩趣今も昔に劣っていませんでした。

ただし、「武蔵野」では春の武蔵野の情景はほとんど描かれていません。
ですから、僕は「武蔵野」では読むことの出来ない武蔵野を経験してきました。

独歩君は、明治30年前後の初夏、後に周囲の反対を押し切ってまで結婚をすることになる女性と、桜橋から武蔵野を散歩します。

堤沿いでして

茶屋を出て、自分らは、そろそろ小金井の堤を、水上の方へとのぼり始めた。ああその日の散歩がどんなに楽しかったろう。なるほど小金井は桜の名所、それで夏の盛りにその堤をのこのこ歩くもよそ目には愚かに見えるだろう、しかしそれは未だ今の武蔵野の夏の日の光を知らぬ人の話である。

今は春ですから、武蔵野の夏の日の光を感じることは出来ませんでしたが、それでも気持ちの良い日差しを浴びながらしばらくぶらぶらしていると、ある公園に出ました。

公園


「武蔵野」では、武蔵野の情景を視覚的と同時に聴覚的に、非常に効果的にその美しさが描かれています。
鳥の羽音、囀る声。風のそよぐ、鳴る、うそぶく、叫ぶ声。叢の蔭、林の奥にすだく虫の音。空車荷車の林を廻り、坂を下り、野路を横ぎる響。蹄で落葉を蹶散らす音、これは騎兵演習の斥候か、さなくば夫婦連れで遠乗りに出かけた外国人である。何事をか声高に話しながらゆく村の者のだみ声、それもいつしか、遠ざかりゆく。独り淋しそうに道をいそぐ女の足音。遠く響く砲声。隣の林でだしぬけに起こる銃音。自分が一度犬をつれ、近処の林を訪い、切株に腰をかけて書を読んでいると、突然林の奥で物の落ちたような音がした。足もとに臥ていた犬が耳を立ててきっとそのほうを見つめた。それぎりであった。たぶん栗が落ちたのであろう、武蔵野には栗樹もずいぶん多いから。

武蔵野の音に耳を傾けながら、ぼくは独歩君と恋人の信子さんと一緒に桜橋の辺りをあてもなくさまよいます。

木々


独歩君が突然、林の奥に座して四顧し、傾聴し、睇視し、黙想するので、恥ずかしかったけど僕も真似をして四顧しました。犬がうんこしてました。

木々


独歩君はとても大好きな恋人が一緒で楽しそうです。でも、この信子さんは、あと数年したら独歩君のもとから逃げ出してしまいます。独歩君が、あまりにもお金がなくて、甲斐性がないから。
しかも独歩君は、このあと会社を創立して倒産させてしまったり、あまりにも我侭で友人が離れていったり、揚げ句には早死にしたりと、ろくなことがありません。
でも、大好きな恋人と一緒に武蔵野を歩くこの日の独歩君は、とても楽しそうです。

木々


旅行に行きたいな。海外に三ヶ月ぐらい。
02年05月06日(月)
ぼくは、自分で言うのもなんですが、年齢の割に精神や感性が年寄臭くて、常日頃若者をぶん殴りたいとか思っているのですが、それでも年相応に若返ろうと努力はしています。
先日、友人とその友人の恋人と共に鍋の具材を買いにスーパーに行き、肉やらネギやらホタテやら、とにかく手当たり次第に食べたい物を購入したところ、代金が6001円でした。
すると、友人は「ロク、マル、マル、イチだな」と言って大笑い、それに反応して彼の恋人は「おっとっと」などと言ってずっこける仕草までする始末、ぼくには「ロク、マル、マル、イチ」の意味も、それに対する「おっとっと」というリアクションの意味もさっぱり分からず、大笑いしながら接吻している二人を尻目に、作り笑いなどを浮かべ、分かったような顏をして「お前、おもしれえじゃん」などと言っておりました。
同世代の若者の笑いですら、どんどんと分からなくなっております。
ロク、マル、マル、イチ。
02年05月07日(火)
カンデンスキー展を徘徊してきました。

ぼくはカンデンスキーの中期の微妙にフォービズム入ってる作品が大好きで、ノートの後ろに「ムルナウの教会(正式名称忘れた)」のポストカードをテープでぐるぐるに貼り付けて、いつでも見られるようにしているのですが、そこら辺の作品があまりなくて残念でした。
抽象画って、ぼく良く分からないのです。良いものは良いし、分かるものは分かるのですが、カンディンスキーのはちょっと分からないのです。
っていうかね、かわいくないのね。カンディンスキーの後期抽象画って。
やっぱりぼく、かわいいのが好きなのよ。

浅田彰さんが「批評空間」のwebの時評のページで、このカンディンスキー展の批評をしています。
■カンディンスキー展をきっかけに

この文章なんかを読むと、カンディンスキーの絵画の色彩の素晴らしさなどをもっともっと知りたい、とおもうのですが、「コンポジションVI」なんかを観ても、いまいちしっくりこない。
あと何年か生きて、もっと何度も観れば、その良さが分かるのかもしれません。焦らず、焦らず。

ところで、上記の記事、展覧会については障り程度にしか触れていないのですが、ティエリー・ド・デューヴの「マルセル・デュシャン」に触れたり、カンディンスキーと甥である哲学者コジェーヴの関係について書いてあったり、短い記事ではありますが、なかなか充実しております。

先日観た「ビューティフルマインド」というなんとも言いようのない映画の中で、ジョン・ナッシュの恋人がシャガールの「七本指の自画像」を観て、「神は画家よ。色彩を創りだしたのだから。」とかなんとかいうシーンがありました。
色彩というと、サイケデリックとかしか考えない人たちも世には多くおりますが、ぼくはサイケデリックというものがいまいち良く分からなくて、そこら辺が抽象絵画を理解できない原因のひとつなのではないか、などと考えながら、日々精進する所存でございます。
02年05月08日(水)
最近、夢と現実の区別がつかなくなってきておりまして、目覚めてから数時間、あるいは数日間、夢と現実を混同していることがよくあります。
昨日は、三十歳になる夢を見て、夢から覚めた後も暫くの間自分が三十歳になったような気がしてなりませんでした。
あの夢は、一体何を暗示しているのだろう。
盛年重ねて来らず、年をとるのはあっという間ですから、精進しなさいという神様からの警告かしら。
02年05月09日(木)
アンジェリーナ・ジョリーを抱く夢をみた。
まだどきどきしてる。
02年05月10日(金)
天気が良いのでお散歩をしていたら、内田春菊の「クマグスのミナカテラ」が道に落ちていました。
拾い上げて、公園で熟読。

この「クマグスのミナカテラ」は、もともとは「クマグス」という題名で十年ぐらい前に書かれたもので、当時二巻まで出ていたものが、単行本未収録分を含めて一冊の文庫となって出版されたものです。
明治17年以降の日本の一生懸命西洋化時代を舞台として、日本人の可能性の極限と言われた南方熊楠や、その周辺の若者たちを中心に、彼らが新しいものを求めて駆けずり回っている様を描いたお話でして、まあ、青春物とでもいうのでしょうか。
思えば、山田美妙なんて今では埋もれてしまっている文学者の名前(最近また作品集が出たけど)も、この漫画で知ったんですよねえ。
すごく面白かったのですが、単行本が二巻まで出たところでぷっつりと終了。それ以降は待てど暮らせど続きが出版されることはありませんでした。
内田春菊自身が語るところによると、原作があまりにもつまらなかったので、直しを入れる時間を考慮して原作原稿を渡すように編集者にお願いしたのに、それを全然守ってくれなかったからぶちきれて描くのをやめたとのことです。
本当に好きだったのにな、この漫画。残念でなりません。

さて、この漫画、内田春菊が言うには、歴史物というだけでありがたがる人や、映画みたいな漫画をありがたがる人にはとても評判が良かったそうです。
もちろん、皮肉混じりだとは思うのですが。
そう言われてみると、ぼくは歴史物というだけで飛びついてしまうし、映画みたいなコマ割りとか展開の漫画が好きなので、確かにそれは正しいかも。
02年05月11日(土)
(続き)
無尽無究の大宇宙の大宇宙のまだ大宇宙を包蔵する大宇宙を、たとえば顕微鏡一台買うてだに一生見て楽しむところ尽きず
南方熊楠に関しては、神坂次郎の「縛られた巨人」という作品があります。
「クマグスのミナカテラ」が、史実を基にしたフィクションだとしたら、こちらは正確な資料をもとに、熊楠の実像に迫ったノンフィクションです。

「クマグスのミナカテラ」では、クマグスが明治24年にキューバにたどり着いたところで終了しています。
その後クマグスはアメリカに戻り、さらにロンドンに渡ります。
ロンドンでは、毎日のように酒を飲み、反吐をはき、自ら「馬小屋の二階」と呼んだ汚い下宿で、AからQまでしかない字引を使って書いた論文を科学雑誌「ネイチャー」に発表、大英博物館で嘱託職員として勤務、膨大な数の資料、文献を読みあさり、勉学に励みます。
当時はとにかく金がなくて、自分で浮世絵などを描いて売ったりしてなんとか糊口を凌いでいたようです。
それでも、土宜法竜や孫文など重要な人とお友達になったり、オクスフォードやケンブリッジの大学教授になることを夢見たりしますが、大英博物館のしゃれたイギリス人に侮辱されてぶん殴ってしまい、その一年後にもしゃれたイギリス人につばをぶっかけぶん殴ってしまい、大英博物館を辞することになります。
それで日本に帰ってくるのですが、父は既に亡くなっており、実家の酒屋の跡を継いだ弟とその嫁との折り合いが悪く、熊野にこもり、1916年に田辺に居を移すまで、そこで粘菌類、藻類、菌類、植物類などを丹念に採集、研究に没頭します。

何だかかわいらしいのが、熊楠が40才で初めて結婚する前に、お嫁さんの顔見たさに、子犬ほどもある丸々と肥えた灰猫を抱いてお嫁さんの家に来て、ちょいと猫を行水させてくれ、と言って猫をお嫁さんの家で行水させて帰り、また次の日には別の猫を連れて、ちょいと猫を行水させてくれ、と言って来たりと、なかなか純情なところもあるのです。

しかし、この熊楠という方、酒と喧嘩が大好きという無頼漢なのですが、にもかかわらず学問に対する情熱はほとんどキチガイ入っておりまして、当時はコピー機などというものがありませんから、子供の頃よりとにかく書を筆写するする。
子供の頃は、中村テキ斎の「訓蒙図彙」を読み、それを記憶して帰宅後に反古の裏面に筆写、さらに「和漢三才図会」百五巻、李時珍の「本草綱目」五十二巻二十一冊、貝原益軒の「大和本草」、「日本紀」「諸国名所図会」、「大雑書」「節用集」、さらに「太平記」五十冊を読破、筆写。
ロンドンでは、大英博物館の蔵書を読破、「ロンドン抜書」全五十二巻一万八百頁を五年がかりで書き上げています。

さらにこの方のすごいところは、例えば絶対にその場所で見つかるはずのない藻類などを、夢の中で亡き父親がその存在と場所を教えてくれたり、あるいはふと突然に、日本では存在し得ない藻類を「隣の裏の田水にあり」と感得し、発見したりすることです。
人類の中にたまにいるんですよね、こういう天才。天才とは、こういう直感を持った人のことをいうのです。
ここに一言す。不思議ということあり。事不思議あり。物不思議あり。心不思議あり。理不思議あり。大日如来の不思議あり。
余は、今日の科学は物不思議をばあらかた片づけ、その順序だけざっと立て並べ得たることと思う。(人は理由とか原理とかいう。しかし実際は原理にあらず。不思議を解剖して現象団とせしまでなり)心不思議は、心理学というものあれど、これは脳とか感覚諸器とかを離れずに研究ゆえ、物不思議をはなれず。したがって、心ばかりの不思議の学というもの今はなし、またはいまだなし。
次に事の不思議は、数学の一事、精微を究めたり、また今も進行しおれり。論理術なる学は、ド・モールガンおよびブール二氏などは、数理同然に微細に説き始めしが、かなしいかな、人間というものは、目前の功を急にするものにて実用の急なきことゆえ、数理ほどに明ならず、また、修むる者少なし。
(中略)
今の学者はただ箇々のこの心この物について論察するばかりなり。小生は何とぞ心と物が交わりて生ずる事(人界の現象とみて可なり)によりて究め、心界と物界とはいかにして相異に、いかにして相同じところを知りたきなり。
それでこの本を読み終えたあとに、下のサイトを見たのですが
■南方熊楠資料研究会
このサイトは、現在も進行形の熊楠研究のサイトでして、「縛られた巨人」では書かれていないこと、あるいは「縛られた巨人」で書かれていることと反対の事なども書かれていて、特に「南方熊楠邸調査の報告」などは、熊楠の所蔵していた書籍の書き込み等まで細かく調べていたり、研究内容だけではなく熊楠自身の人間性などにも触れていて、熊楠に興味のある人にはたまらないのではないでしょうか。
02年05月12日(日)
(続き)
「縛られた巨人」という作品は熊楠の伝記として読むぶんにはとても面白かったのですけど、書き物として読むのにはいまいち物足りないというか、熊楠という人物を知るという目的以外では、それほど読みたいと思わせる作品ではありませんでした(まだ4/1程読み残っているのですけど)。
しかし、その中でなかなか面白かったのが、熊楠が帰国後に生活の拠点とした熊野に関する描写でして、(ぼくが熊野について何も知らなかったからかもしれませんが)熊野道や妙法山阿弥陀寺のくだりを読んでいたら、すっかり熊野に行きたくなってしまいました。
亡者の熊野詣という事を伝へて、人死する時は幽魂かならず当山に参詣すといふ。いとあやしき事など眼前に見し人もあり
なんでも熊野にある法山阿弥陀寺というお寺では、昔は応照法師が焚身往生(焼身自殺)したり、ある禅師は捨身往生(バンジージャンプ)してぶらぶらつるされたまま死んじまったりと、往生を遂げようとする方々はみな死んで事を為そうとしたようで、熊楠が訪れたときも、ただならぬ気配が漂っていたようです。
もともと熊野三山の信仰は、古代人が大自然に抱いた素朴な畏怖心から発している。那智の”滝”、本宮の”水”、新宮の”岩倉”。熊楠はその熊野の遥かな”時間”の径に分け入り、おのれもまた一個の古代人に化って、かれらが祖霊が棲むとみた山精や飛滝や巨岩を凝視めたいと思う。そうでなければ、荒々しい熊野大山塊の大自然を神とみた古代人の畏怖も、山塊の奥処から発した水が、天空に巨大な”白い神”となって出現する大滝の神秘も素直に伝わってこないであろう。
その昔、熊野路を歩いていると、人々は「ダルに取り憑かれる」という飢餓状態になることがあったそうです。
「ダルに取り憑かれる」とは、熊野道を歩いているときに突然に襲ってくる飢餓感のことで、米粒を二三粒食べれば直るのですが、そうしないと一歩も先に進めなくなり、昏倒してしまうそうです。
これは、熊野の無縁仏が人に取りついたのだ、と言われ続けてきて、熊楠も何度か経験しています。
しかし今では、妙法山阿弥陀寺までスカイラインで一気に登れるらしく、なんだか味も素っ気もなくなってしまいました。
02年05月13日(月)
友達の家でパスタパーティーをした際に、トマス・ピンチョンの「スロー・ラーナー」の文庫を無断で拝借。
帰宅後、すでに「スロー・ラーナー」のハードカバーを所有していたことに気付く。
でもカバー装画が文庫判の方がかっこよいので、とりあえず良しとする。

この翻訳をしている志村正雄というお方。
この方がまた面白い本ばかり翻訳をしております。
この方の書いた「神秘主義とアメリカ文学—自然・虚心・共感」が読みたい。
02年05月14日(火)
親しい友人三人と一緒に、吉祥寺にある操さんの焼きそば屋さんに焼きそばを食べに行く。
食べている間はしゃべってはいけないので、黙々と手作り焼きそばを食べる。
すげーうまい。

その後スコールのような雨を避けて無印良品に入ったところ、春物の洋服が500円とか馬鹿みたいな値段で売っていたので、友人三人にコーディネイトしてもらい、購入。

勢いがついたので、そのまま丸井に突入。R.NewBoldで再び三人にコーディネイトしてもらって洋服を購入。
あまりの洋服のかわいらしさに、一年ぐらいローンにしてもいいかと思うぐらい金銭感覚が緩む。

自慢ではありませんが、ぼくは洋服というものに対してかなり無頓着でありまして、下手すると丸一年同じ洋服を着続けたりするのですが、良い洋服を着たいという気持ちは常に持ち合わせております。
特に七分丈のパンツはずっと欲しくてずっと欲しくて、ようやく買うことが出来ました。
ずっぼーん
これ、ぼくの足が短いのではなくて、七分丈なのよ。

あとこの靴。この靴のかわいらしさはほとんど罪でしょう。
夢のようにかわいらしい靴


もう、何度もみてもかわいくてかわいくて、しかもラバーソール並の厚底なので、履くと背が高くなるのです。

他にもとても素敵なシャツとか、靴下とか、たくさん買いました。
本当に、この洋服を汚す人間がいたらまじでぶっとばします。
まず回し蹴りで一発、倒れたところを踵落とし、最後に目つぶしぐらいします。

お付き合いして頂いた三名のお友達、本当にありがとうございました。
また半年後に、今度は冬服の買い物におつきあいの程よろしくお願いいたします。
02年05月15日(水)
雑誌「PEN」の五月号を購入。目的は「9・11与えた衝撃を探る。アメリカ文学は、いま」という特集。

9.11の事件は、日本に住んでいるぼくたちにとっても衝撃的な事件でした。
現在ではだいぶ落ち着いたものの、一時期のアメリカは、空前絶後といってよい程のナショナリズムに陥り、アメリカという国家を非難しようものなら、あるいはテロリストとしての敵方を擁護しようものなら、それこそ非国民の扱いを受けるといったひどい状況になっていました。
そのような状況下において、自分たちの想像力を売り物にし、自分たちの思想を文字に落とすことを生業としているアメリカの物書きたちはどのように反応し、どのように行動したのか。
彼らの想像力は、今後どのような方向に向いていくのか。
というような特集でございます。

取り上げられている作家は、スーザン・ソンタグドン・デリーロジョナサン・レセムドナルド・アントリムリチャード・パワーズマイケル・シェイボンジョナサン・フランゼンウィリアム・T・ヴォルマンジェンパ・ラヒリジョージ・サウンダースコルソン・ホワイトヘッド、などなど。

今のぼくがやりたいのは、食べることとセックスぐらいだ(ジョナサン・レセム)
物語は瓦礫の中で終焉を迎え、それに対抗する物語を作ることは我々に委ねられた(ドン・デローロ)
この日の衝撃度たるや、リアルに表現するには、小説との比較以外にはできなかった。(リチャード・パワーズ)
困難な時代ですが、お元気で(ジョージ・サウンダース)

紹介されている作家全員の9.11に対する反応やインタビューが書かれている訳ではなく、半分ぐらいの作家に関しては経歴を紹介して「今度どのような行動をしていくのか」的な扱いになっていて、それがちょっぴり残念でした(ヴォルマンの反応とかすごい興味があるのですけど)。
しかし、salon.comのローラ・ミラーのインタビューなども載っていて、アメリカ文学好きにはなかなか読みごたえはあると思ういます。

ところで、この特集で知ったのですが、「リーダーズ・ガイド」が日本語訳で出版されるんですって。
この「リーダーズ・ガイド」は、一冊持っているだけでアメリカ文学を知ったかぶりできるというとても便利な物なのですが、日本語訳がでることはないだろうと、つい先日アマゾンで購入したところでした。
日本語版が出るなら買わなきゃよかったよ。

この特集を組んだ新元良一というかたは「同時代文学の語り部たち」という、主にアメリカ文学の作家を中心にしたインタビュー集の著者であります。
このインタビュー集はとても面白いのですが、この方の他の著書というものが全然見当たらないのです。
これしか出していないのかしら。
02年05月16日(木)
世間はワールドカップというもので盛り上げっているのか盛り上がっていないのか良く分からない状況ですが、ぼくはサッカーというものに対しての興味が完全にゼロでして、興味もないけど特別な憎しみもない、全くもってよその世界の出来事といった感じなのです。
ですから、ぼくとしてはこのまま一生無関係に過ごしたいと思っているのですが、時折ぼくにワールドカップの話題などを振ってくる輩などがおりまして、そうなるとぼくの方ではえへへと薄ら笑いを浮かべて、思ってもいないサッカー話をしなくてはいけません。
しかしぼくもそろそろいい年齢ですし、自分の意見ははっきりと言わなくてはいけないと思いますので、今後ぼくにサッカーの話題を振ってくる輩が現れた場合、とりあえずぶっとばすことにしました。
中指に指輪をはめて、グーで前歯を二本折ります。
02年05月17日(金)
あまりの靴のかわいらしさに、一日中眺めて過ごす。

かわいい靴


形も色もとても素晴らしい。
こんなかわいい靴を履いている人が町を歩いていたら、好きになってしまうかもしれません。
02年05月18日(土)
近所の古本屋さんで、ちくま文庫の「泉鏡花集成」全十四巻が9000円で売っているのを発見。
買おうか買うまいか、数時間迷った揚げ句、今回は見送り。
今度のお給料日まで残っていたら買ってしまうかもしれない。
ううう。金。
02年05月19日(日)
石川淳の「紫苑物語」を読む。
守もようやく弓矢の道を知るに至ったらしいな。矢はもっぱら生きものを殺すためのものじゃ。たかが鳥けものなんぞのたぐいではなくて、この世に生けるひとをこそ、生きものとはいう。殺すものと知ったうえは、すなわち殺さなくてはならぬ。さらに多くを、いやさらに多くを、殺しつづけなくてはならぬ。おのれの手がすることに飽きるな。おのれに倦むな。おぼえたか。
石川淳という方は、作品が地味に受け取られるのか、作家としての派手なエピソードがないからか、最近すっかり忘れられているような気がしてならないのですが、このような素晴らしい人と作品が忘れられてはいけないのではないでしょうか。
この方は、大宰や安吾と並び評された無頼派の一人でして、その思想を思えば、おそらく一番無頼派らしい無頼派だったように思います。

この種の古典的幻想文学(とか書くとすごくつまらなそうに聞こえますけど)では、アホみたいに難しい漢字を使ったり、やたら冗長なうんこみたいな表現を使ったり、わけのわからない叙情性を延々と描いたりと、そんな作品が多いのも事実なのですが、石川淳はそんな陳腐な真似は一切していなくて、読んでびっくりひらがなだらけ、漢字の選択も絶妙、表現も簡潔にして美しく、読んでいて気持ちのよい日本語というのはかくあるものなのでしょう。

本の裏表紙などを見ると
優美かつ艶やかな文体と、爽やかで強靱きわまる精神。昭和30年代初頭の日本現代文学に鮮烈な光芒を放つ真の意味での現代文学の巨匠・石川淳の中期代表作——華麗な“精神の運動”と想像力の飛翔。
などと書かれておりますが、石川淳が書いた久保田万太郎への追悼文の中に以下のような文章があります。
ここで石川淳が久保田万太郎について書いていることは、そのまま彼自身にも当てはまるのではないでしょうか。ちょっと長くなりますが引用させていただきます。
みがき拔かれたことばの反射は作者の身に於てますますカンを研ぎすますことになつたやうである。久保田さんのカン。ことば一般について、ことばを手だてとする文学作品一般について、カンはこのひとをすぐれた無言の鑑定家に仕立てた。ことばの目きき。ただこの目ききは考の筋をおひつめ押しすすめて行くことばだけはしらなかつたようにおもはれる。したがつて、他人のためではなく、御當人のために、問題を作りだしていくといふ術はこのひとの幻術の中の缺けた部分と見るほかない。いいあんばい・・さう、この作者としては、いいあんばいといふべきだろう。
いいあんばい。「紫苑物語」は、まさに良い按配に書かれた物語であるように思います。
ぼくは、そんな良い按配の小説を読むと、ああ、きもちがよい、とつぶやいてしまいます。

ついでですので、久保田万太郎への追悼文の始まるの書き出しも引用します。
久保田万太郎は、赤貝を喉に詰まらせてお亡くなりになりました。
すききらひを押し通すにも、油断はいのちとりのやうである。好むものではないすしの、ふだん手を出さうともしないなんとか貝なんぞと、いかにその場の行がかりとはいへ、ウソにも付合はうといふ愛嬌を見せることはなかつた。いいえ、いただきません、きらひです。それで立派に通つたものを、うかうかと・・・このひとにして、魔がさしたとふのだろう。ぽつくり、じつにあつけなく、わたしにとってはただ一人の同郷浅草の先輩、久保田万太郎は地上から消えた。どうしたんです、久保田さん。久保勘さんのむすこの、ぶしつけながら、久保万さん。御当人のちかごろの句に、湯豆腐やいのちのはてのうすあかり。その豆腐に、これもお好みのトンカツ一丁。酒はけつかうそれでいける。もとより仕事はいける。ウニのコノワタのと小ざかしいやつの世話にはならない。元来そういふ気合のひとであつた。この気合すなはちエネルギーの使い方はハイカラというものである。
保坂和志はヴァージニア・ウルフに関して「とにかくいまウルフは不当に低く評価されている、というよりも無視されている」と書いていますが、それと同じことは石川淳にも言えないでしょうか。
とにかくいま石川淳は不当に低く評価されている。というよりも無視されている。

ちなみに、歌人の水原紫苑というお方は、この「紫苑物語」にちなんで名前を付けたそうです。
02年05月20日(月)
5月20日はフランスの文豪オノレ・ド・バルザックさんの誕生日でございます。

バルザックさんはずんぐりむっくり、もっそもっそと歩き、着ている服はしわしわで、口を開けばお下劣極まりない下ネタ話、あるいは誇大妄想的な法螺話、あるいは尽きることのない自慢話。
そんなバルザックさんでありますが、夜になり部屋に一人きりになると、途端言葉の波が頭に押し寄せ、信じられない集中力で一気に原稿用紙にペンを走らせます。
ことばがことばを生み、生まれたことばが物語を紡ぐ。

そしてお顔もなかなか良い顔をしている。

バルザック君

密かなヅラ疑惑がぼくの中に芽生えております。

バルザックさんの時代、小説家と小説を掲載する新聞社の間では、一行いくらという形で契約が行われていました。
書けば書くほどお金になるわけですから、バルザックさんは書いて書いて売って書いて書いて書きまくり、ケルアックもびっくりというぐらい書きまくり、寝る間を惜しんで書きまくり、書いては書いたで借金しまくり、中間搾取はいやだようと言っては自分で印刷会社を作り、書いて書いて書きまくり、完全なノベルライターマシーンと化して書きまくります。
書けば書くほどお金になるわけですから、情景描写がながーく、ながーくなり、舞台設定もくどーく、くどーくなってしまいます。
眠ってはいけないから、一日に五十杯のコーヒーを飲みまくります。
一杯のコーヒーが200mLとすると、10Lのコーヒーを毎日飲んでいたことになります。

そんな彼の書いたそんな作品に登場する人物は2300人を越え、今なお全世界の人々に読まれつづけているとさ。

ぼくはバルザックを読んだことがありましぇん。
02年05月21日(火)
奥村君とダンディズムについて話していた折、なにかのきっかけで「二笑亭奇譚」という面白い本があるということを教えて頂きました。

この本は、以前にちくま文庫から出ていたらしいのですが、残念ながら今では絶版となっていて、古本屋で探さないと手に入れることができません。
しかしどうしても「二笑亭」について読みたかったので、Webで調べたところ、水木しげるが「二笑亭主人」という漫画で二笑亭について書いてることを知り、早速「奇ッ怪建築見聞」と「東西奇ッ怪紳士録」を購入しました。

二笑亭の主人の金蔵君です。これまた素敵なお顔。

性格強情金蔵君

水木しげるの書くところによると以下の通りです。

昭和の初め、渡辺金蔵によって建てられた「二笑亭」という建物が深川門前仲町にありました。
その建物は、後に精神病と認定される渡辺金蔵という人間の「修養」を体現するためだけの、決して人の住むことの出来ない建物でした。

渡辺金蔵は、精神病を発症する以前より、性格的に強情なところがあって、己の「修養」の信ずるところであれば、他人の意見に耳を貸さないところがありました。
関東大震災ののち、家族の反対を押し切って、突然長男と次男を連れて世界漫遊の旅に出てしまったこともその性格の頑固さと奔放さを物語っています。
旅行の途中、長男が精神に異常を来たしますが、旅行を中止することなく漫遊を続けます。
この漫遊旅行で一体何処へ行ったのか、何を見てきたのかはこの本には詳しくありません。
ともあれ、帰国した渡辺金蔵は、早速二笑亭の建築に取り掛かり、この後十余年にわたり、実際に住むことが出来ない家「二笑亭」の完成を夢見て、日々己の「修養」を如何に二笑亭に開放するか、そのことだけを考えながら風呂に入り続けます。
和洋合体風呂、ガラス入り節孔窓、ホール左側の浮き彫り、土蔵にある昇れない鉄梯子、遠くにある使えない便所、不思議な階段を上がると、主人直筆の掛け軸「ごくろうなれどもるすばんたのむよだるまさん」、祠入口の口を閉じている新型狛犬、入り口が小さく、入ると壁にナイアガラの写真が貼ってある茶室、などなど。

しかし、建築開始の十数年後に、金蔵が精神病として入院することにより、二笑亭の建築は永遠に中止されます。
そしてその二年後に、金蔵の「修養」の具現的存在である二笑亭は、取り壊しになってしまいましたとさ。

うーん。漫画を読んだら、余計に「二笑亭奇譚」を読みたくなってしまいました。
今度のお休みの日にでも、古本屋巡りをしてこようかな。
02年05月22日(水)
水木しげるは、「二笑亭主人」の最後で以下のように書いています。
『二笑亭』は人物はともかく建物が面白いのです。その製作者が"精神障害"だからといって、捨ててしまってはいけないのです。
しかし、"精神障害"である製作者が生みだした作品群は、一般的に「アウトサイダー・アート」と呼ばれる芸術分野の一形態として、捨てられるどころか近年急速にその存在が世間に知られつつあります。

アウトサイダー・アートに関してみずのき寮絵画教室主宰代行である谷村 雅弘さんは以下のように定義づけています。
アウトサイダー・アートとは、美術の歴史や決まりごと、流行などには目もくれず、評論家や画商の評価に対しても全く無関心に、自分自身の内側からわき上がる衝動に突き動かされ、創意工夫を凝らして作り出す作品の総称である。ヨーロッパでは約80年の歴史を持ち、フランス現代美術の巨匠:ジャン・デュビュッフェによって“アールブリュット”(加工されていない“生の芸術”と言う意味のフランス語)と命名され、我が国では最近“エイブル・ア−ト”(可能性の芸術)なる造語も生まれている。
ぼくはアウトサイダー・アートに関してはほとんど何も知らないのですが、ぼくの持っているEsquire1993年10月号に、「暴走、アウトサイダーアート」という特集が掲載されており、何人かのアウトサイダーの芸術家たちが紹介されています。
その中で、最も興味深いのが、ヘンリー・ダーガーです。

ヘンリー・ダーガーは、1892年にアメリカ、イリノイ州シカゴに生まれました。
幼いうちに養子に出され、8才でカトリックの洗礼を受け、その後知的障害者と認定され、施設に入ります。
しかし17才の時に施設から逃亡、その後病気で入院する71才まで掃除婦、皿洗いなどをして生計をたて、81才(1973年)でお亡くなりになるまでその生活は続きます。
死後、四十年に渡ってダーガーがひとりで住んでいた彼の部屋から発見されたのは、百を越える挿し絵を含む「非現実の王国、あるいはいわゆる非現実の王国におけるヴィヴィアン・ガールズの物語、あるいはグランデリニアン大戦争、あるいは子供奴隷の反乱に起因するグラムディコ.アビエニアン戦争」と題された全15巻15000ページにのぼる大著でした。

その内容は、奴隷少女たち<ヴィヴィアン・ガールズ>の軍隊が、架空の王国の支配権を強奪した凶悪な奴隷主であるグランデリニアン人と戦うというストーリーが骨子になっている、非現実的な王国物語でした。
幻獣ブレンギグロメニアン・クリーチャーたちが空を飛びかうその王国で、男性器をつけた幼い少女たちが、戦いのなかで拷問、虐殺されていく物語を、ダーガーは19才から71才までの間、ひとり部屋にひきこもり書き続けていたのです。

さすがに15000ページを読む気にはなりませんが、ジョン・マグレガーが書いた「ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で」が邦訳されています。
これはちょっと読んでみたいなあ。でも6500円は高いなあ。

ダーガーに関しては、以下の二つのサイトがとても参考になります。

■ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で
作品社から出ている「ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で」でのオフィシャルサイトです。
■Realm of the Unreal: A Page About Henry Darger
アメリカのダーガーのWebサイトです。挿し絵等をみることも出来ます。

そういえば、雑誌「PEN」の次号でも、アウトサイダーアートの特集を行うみたいです。
02年05月23日(木)
来年以降の鉄割存続のために、博多から東京までの旅費と時間を具体的に計算してみました。

基本的はコンセプトは「お金をかけずに手間かけて」です。
やむを得ない場合を除いて、東京までの旅程はすべて徒歩で行なってもらいます。

最初に、博多から門司まで、72kmの道のりを歩きます。
門司から下関までは、海を渡らなくてはいけないので、ここだけは仕方がないので山陽本線で、渡ることにします。
下関で電車を降りたあとは、東京の根津までなんの障壁もなく歩くことができますので、1050kmを歩いてもらいます。

江戸時代、人は東海道五十三次を14日間で歩いたと言いますので、一日に40キロ歩いてもらうとして、博多から門司まで2日、下関から東京まで26日かかります。
やんちゃな方ですから、おそらくは各所各所で町の無法者などと対決もするでしょうから、3日は余分にみて、ちょうど31日、一ヶ月で東京に到着する計算になります。

東京に着いたら、本番までの2週間、稽古に参加してもらいます。
その間は、芦花公園にテントを張れば、寝泊まりは十分にできるでしょう。
その間の食事は、鉄割でたくあんとかを用意します。
本番が無事終了したら、再び一月かけて博多に帰ってもらいます。

旅費に関しては、最初にテントや寝具類は買い与えるとして、食費は朝と夜にコンビニでおにぎりをひとつずつ、ひとつ105円が2個で210円。
それが31日分で6510円。
飲み物は、2リットルの水を4日で飲むとして、31日で約8本、一本200円として1600円。
宿泊費は、テントを持っていくので0円。お風呂は昼間に川で済ませましょう。
交通費は、門司ー下関間が220円。
合計、8330円。
それが往復で16660円。
都内にいる間は、基本的に鉄割のメンバーのボランティアで生活をしてもらいますので、費用は0とさせていただきます。

鉄割は、三ヶ月に一回の割合で本番がありますから、三ヶ月ごとに博多を出発してもらいます。
一ヶ月かけて来て、二週間滞在して、一ヶ月かけて帰りますから、博多に帰り着いた二週間後には、再び東京に向かって出発してもらうことになります。

そうなると、一年のうちの八ヶ月は徒歩の旅をしているという、なかなか素敵な生活を送ることになります。
そもそも人間は、歩くことによって思想を育ててきました。
アリストテレスは散歩をしながら学問を語り、「逍遥学派」と呼ばれました。
ジャン・ジャック・ルソーは「私の頭は、足といっしょにしか進まない」といい、散歩をしながら思索に耽りました。
西田幾多郎はあまりの思索の激しさに、常に脂汗をかきながら散歩をし、彼の歩いた道は、現在では「哲学の道」と呼ばれています。
ワーズワースは自然に満ちた散歩道を愛し、多くの素晴らしい詩を書き上げました。
ポール・オースターは「歩くことは想像力を開放する」といい、彼の作品「ムーン・パレス」の主人公マーコは、その物語の最後でユタ州からカリフォルニア洲までの砂漠を歩いています。
電車やバスに乗っても、どうせ眠っているだけなのでしょうから、時には歩きながら物思いに耽るのも良いのではないでしょうか。

とは言え、さすがに年間9600キロを歩くというのは大変だと思います。
そこら辺は、鉄割での自分の存在の大きさを自覚して、納得していただくしかありません。
02年05月24日(金)
微妙に仲の良いお友達とコーエン兄弟の「バーバー」を観に行く。


 コーエン兄弟の映画は当たり外れが多いとよく言われていますが、ぼくは彼らの映画が大好きでして、「赤ちゃん泥棒」以降のコーエン兄弟の映画で、つまらなかったものって一本もないのです。
 しかしそのなかでも、この「バーバー」は特に面白かった!!
 どこがおもしろかったとか素晴らしかったとか具体的に書くと、あーだこーだうるさい人がいるから書かないけど、ぼくとしては、あくまでぼく個人として、ここ数年で観た映画の中では、かなり上位にランクインする面白さでした。
 一緒に観に行った友人が、「BBソーントンの演技が素晴らしかったとかいう問題じゃないよ」と言っていましたが、それは本当にその通りで、いやはや、時折このような映画に出会うから、つまらない映画を100本観ても、懲りずに映画を観てしまうのですね。
02年05月25日(土)
ようやくディズニー・シーに行ってきました。
遠くの方で火山が噴火していて、度肝を抜かれました。
夕方に雨が降りそうだったので、赤くてかわいい傘を買いました。
何となく、全体的に大人が楽しめるような造りになっているような気がしました。
また近いうちに行きたいと思います。
02年05月26日(日)
喧嘩をしていたお友達と仲直りをするために、一緒にデビッド・フィンチャーパニックルームを観に行く。


このような、限られた空間が舞台のサスペンス物って、個人的にすごく好きなのです。
ダニー・ボイルの「シャロウ・グレイブ」とか、ブリジッド・フォンダの「ルームメイト」とか、ヒッチコックの「ロープ」とか。
しかもフィンチャーの撮り方がとても素敵で、CGを駆使した長回しのシーンとかは、それだけでも一見の価値はあるのではないでしょうか。
ストーリー的にはさほどの真新しさはないのですが(それが良かったのだけど)、二時間すっかり夢中になって観てしまいました。
こういう映画を観るときは、とにかく物語を楽しみましょう。粗なんて、見つけようとすればいくらでも見つかるものです。テーマなんていくら見つけようとしても見つからないものです。

eiga.comのこの映画に関するフィンチャーのインタビューがすごく面白いですよ。
■デビッド・フィンチャー監督インタビュー

そんなフィンチャーの次回作は、アーサー・C・クラークの「宇宙のランデブー」、さらに「ミッション・インポッシブル3」を検討中とのこと。

ちなみに、映画の中で親子が助けを求める裏窓の隣人は、セブンの脚本を担当したアンドリュー・ケビン・ウォーカー だそうです。
02年05月27日(月)
おもちゃ屋さんでポセイドン像を購入。

ちんちんまるだし

ギリシア神話というものは、神様がリアルに人格化され過ぎていて、なんだか物足りないですね。
ちんちん丸出しで「我は海の神なり」なんて言われても、威厳感じないでしょう。

神様なのですから、せめて

カーリーっていうの、この神様

これぐらいの迫力を持ってほしい。
これならひれ伏す。
そこらへん、ヨーロッパの神様にはアジアの神様を見習って欲しい。
02年05月28日(火)
5月28日は堀辰雄君の命日でございます。
昭和28年5月28日、追分の自宅にて永眠。
享年48才。

信濃追分の自宅で仮装の後、東京芝の増上寺で告別式が行われました。
最後に弔辞をおこなったのは、川端康成でした。
私はお骨拾いには参りませんでしたが、堀君がお骨になります自分に、追分から軽井沢へ夜みちをゆきますと、向こうの山の端が明るくなりまして、それが神秘的に夜気のうるんで来るような明かりを増しまして、狐火のようですが、堀君を焼く火かとはじめは思いましたが、月の出でありました。じつに大きい月が出ました。私は山越しの阿弥陀図を思いました。山越しの阿弥陀図の絵にもいろいろありますけれども、弥陀の大きい半身が山から浮き出てくるのに、その時の月の出と感じのよく似たのがありまして、私は思いだしたのです。これは、堀君も最後の作品の「雪の上の足跡」に「釈迢空の『死者の書』を荘厳にいろどっていたあの落日の美しさ」と書いておりまして、来迎は月の出ではなくて落日なのでありますけれども、高原の月の出も来迎の図の印象に通っておりまして、私は堀君の霊が高原の月に迎えられて昇天してゆくように感じたものでした。今日、増上寺での本葬はちょうど堀君の十七日にあたります。
川端君が弔辞の中でふれている「雪の上の足跡」は、堀君の最後の作品で、晩年に堀君は終生愛し続けた信濃追分に居を構え、そこでこの作品を書きます。
この作品は、9ページ弱の小品ながら、堀辰雄の最高傑作のひとつだと思います。
この作品の中で、堀君は友人で詩人の立原道造の思い出を語り、尽きることのない古代への憧憬を語り、彼が愛する軽井沢への想いを語ります。
彼の作品全体に共通する悲しみは、この最後の作品においても、とうとう消えることはありませんでした。
或日などは、昔、村の雑貨店で買った十銭の雑記帳の表紙の絵をおもい浮かべていた。雪のなかに半ば埋もれて夕日を浴びている一軒の山小屋と、その向こうの夕焼けのした森と、それからわが家に帰ってゆく主人と犬と、..まあ、そういった絵はがきじみた紋切型の絵だ。或日、その雑記帳を買ってきて、僕がなんということもなくその表紙の絵をスウィスあたりの冬景色だろう位におもって見ていたら、宿の主人がそばから見て、それは軽井沢の絵ですね、とすこしも疑わずに言うので、しまいには僕まで、これはひょっとしたら軽井沢の何処かに、冬になって、すっかり雪に埋まってしまうと、これとそっくりな風景がひとりでに出来上がるのかもしれない、と思い出したものだ。そうしたら急に、こんな絵はがきのような山小屋で、一冬、犬でも飼って、暮らしたくなった。その夢はそれからやっと二三年立って実現された。ーその冬は、おもいがけず悲しい思い出になったが、それはともかくも、あの頃のー立原などもまだ生きていて一しょに遊んでいた頃の僕たちときたら、まだ若々しく、そんな他愛のない夢にも自分の一生を賭けるようなことまでしかねなかった。
晩年、病気の悪化でほとんど外に出ることが出来なくなっていた堀君は、寝室の枕元にエル・グレコの「受胎告知」を掛け、この愛すべき絵画と共に最後の数年を過ごしました。
若いころより、愛する恋人や尊敬する友人に次々と先立たれてきた堀君は、自分自身も結核を病み、常に死を意識して生きてきました。
追分の片隅で、堀君はどのような気持ちでグレコの美しい絵画を眺め、時を過ごしていたのでしょうか。
雪の面には木々の影がいくすじとなく異様に長ながと横たわっている。それがこころもち紫がかっている。どこかで頬白がかすかに啼きながら枝移りしている。聞こえるものはたったそれだけ。そのあたりには兎やら雉子やらのみだれた足跡がついている。そうしてそんな中に雑じって、一すじだけ、誰かの足跡が幽かについている。それは僕自身のだか、立原のだか・・・

余談。
あまり知られていませんが、大宰治君と堀辰雄君は、お互いの生涯において一度だけ会ったことがあるそうです。
その時の印象を、太宰君は井伏鱒二君にこう言っています。
堀さんというのは案外イナセな、いい男前だ。ひとつ惜しいのはあの隙間だらけの歯だ。歯の根が浮きあがって、いかにも虚弱そうですね。あれが味噌ッ歯なら、風格が一段と高まるんだが。
堀君の隙ッ歯はとても有名で、いろいろな文学者がそのことを語っています。
堀君の写真を見てごらんなさい。どの写真も口をぴったり閉じていますから。
02年05月29日(水)
今月号の「Monthly M」の表紙の自転車がすごくかわいい。
ブリジストン/モールトンBSM179という型の自転車の特別限定版らしいのですが、値段が190,000円。
買おうか買うまいか迷いもしない値段で良かった。
02年05月30日(木)
夕方にお散歩に行こうとしていたら、仲の良い友人が恋人と一緒に訪ねてきたので、一緒に散歩に行き、そのまま銭湯に行く。
帰りに、季節のものを食べさせてくれる小料理屋に寄り、とりとめのない話をしながらお酒を飲む。
ややこしい話とか、切羽詰まった話よりも、このような話をしながら飲むお酒が一番おいしい。
あと何年このような楽しい時を過ごせるのかと考えると悲しくなるので考えないようにして、飲めもしない日本酒を無理して飲む。
店を出て、二人に石神井マンパンをお土産に渡し、再びひとりで散歩に行く。
02年05月31日(金)
六本木でセネガル人と一緒にお祝いの踊りを踊る。

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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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