仕事終了後、久しぶりに友人Nに会うために新宿へ。約束まで時間があったので、紀伊国屋で『廃虚大全』を購入。最近流行っている廃虚探訪ものとは異なり、さまざまな分野に登場する廃虚を論じた評論集。論者は谷川渥をはじめとして、巽孝之、小谷真理、飯沢耕太郎、種村季弘、四方田犬彦、飯島洋一、永瀬唯、日野啓三など錚錚たるメンバー。カフェに入って読み始めたところ、面白すぎてやめることができず、待ち合わせに遅刻。
Nと創作和食の店で食事をする。Nの近況を聞き、僕の近況に関してはお茶を濁す。もちろん鉄割のことなどは一切言わない。
帰宅後、『廃墟大全』の続きを読む。そのせいか、おかしな夢をみた。
帰宅後、一時間ほど走る。走っても走っても全然痩せないのは、直後にジンジャーエールを飲んでしまうからだと思う。せめて、炭酸水(ペリエとか)にしよう。
夜、急に読みたくなってドン・デリーロの『ボディ・アーティスト』を読む。この作品を読むのはこれで三度目だが、読むたびに素晴らしさが増す。『ドン・デリーロ『ボディ・アーティスト』進行形読書ノート 』も素晴らしい。好きな作品について、こんなふうに書くことができたら楽しいだろうな。
良い作品を読んだ後は、心地よい眠り。明日から三連休。
『ボイス』は思ったほど怖くなかったが、音やフェイントで強引に驚かされた感じ。つっこみどころ満載の映画だった。CMで話題となったウン・ソウという少女の演技はかなり笑えた。
その後、中華料理を求めて銀座を逍遥、結局アジア料理屋で食事をする。最近、話を聞くのが楽しくてしかたがない。っていうか聞き役が楽しい。そんなわけでYさんをやたらと質問攻めにしてしまい、少し反省。
帰りに、恐怖を満喫出来なかった不満から、『アナトミー』を借りてきて観る。ドイツ(オーストリア?)映画。『ラン・ローラ・ラン』で主役を演じていたフランカ・ポテンテが主役。全然期待していなかったけど、普通に面白かった。映画の重要な鍵である「アンチ・ヒポクラテス連盟」に興味が湧く。後で調べよう。
『アメリカの20世紀<上>』は1890年から1945年のアメリカの歴史的な軌跡を概観する。読んでいて感じるのは、アメリカという国の政策が、百年前、下手すれば二百年前とほとんど変わっていないということで、例えば1898年の米西戦争で、大統領は「人類の名において、文明の名において、危険にさらされたアメリカの利益のために」スペインに宣戦を布告する。当時、スペインがキューバを非人道的に占領していたことを考えれば、アメリカの宣戦布告はある意味で正しい行為に思えるかもしれないが、戦争に勝利した後、アメリカはスペインの植民地をそのまま領有している。キューバを救うために「人類の名において」行った宣戦布告は、結局のところ帝国主義への方便に過ぎないといわれても仕方がない。
『アメリカン・カルチュラル・スタディーズ』は、Neil Campbellによる『American Cultural Studies: An Introduction to American Culture』の全体の六割程度の翻訳。アメリカという国を、カルチュラル・スタディーズ的に分析する。大抵のアメリカ論が歴史的な事件をもとに書かれているのに対して、この本は映画、文学、音楽、宗教、場所、大衆文化などをもとにアメリカを論じていて、かなり面白い。残念なのは原書のすべてを収録していないということで、原書を購入すべきかどうか迷う。
夜、稽古。その後、みんなと飲みに行く。鉄割の人と話すと、脳みそがとろけて気持ち良い。
かわりに、以前から気になっていた『新ネットワーク思考』を購入。タイトルからすると、くそつまらないインターネット社会学を想像してしまうが、実は複雑系の書、らしい。まだ読んでいないのでなんともいえない。それから、坪内祐三氏の『新書百冊』も購入。新潮社が新書の出版を始めた、最初の十冊のうちの一冊。そこで新書の紹介本を書くのだからおもしろい。
そのままカフェに寄り、読書。隣に座っている円形脱毛症の男性が、とても良い顔をしているおでぶさんに空手の話をしていて、それが気になって読書に集中できない。
Larry McCafferyの『Some Other Frequency』を購入。副題が "Interviews With Innovative American Authors" との通り、ポストモダンの仕掛け人にしてAvantPopの提唱者であるLarry McCaffery氏による、アメリカ文学の作家のインタビュー集。Gerald Vizenorへのインタビューが嬉しい。
夜、Yahooで紹介されていたサイト『ようこそ幕末の世界へ』をみていたら、幕末への想いがふつふつと蘇ってきた。ちょうど二十歳ぐらいの頃、幕末から明治維新という日本史的にも希有な転換期に強く興味が湧いて、少し調べたことがある。幕末に生きた人々がどれだけ価値観をぶちこわされたか、そのことを考えるだけで、心臓がどきどきする。
幕末という時代は、太平の世であれば学者や詩人で一生を過ごしたはずの多くの人々を、戦乱に巻き込んだ。思想など持つはずのない多くの人々が、思想のために死んだ。そして、本来歴史に残るはずではなかった多くの人々を、歴史に残した。混乱の時代が、人を歴史の表舞台に登場させる。歴史にとって、平和な時代は価値を持たない。どうしてなのだろう。どうして人類は、混乱だけを歴史として描いてきたのだろう。
その後、古本屋でKurt Vonnegutの『Hocus Pocus』のペーパーバックを発見し、購入。最近、カート・ヴォネガットJr.にはまりかけている。
夜、土曜日の夜の微妙な寂しさに負けて稽古に行く。稽古終了後、例のごとく居酒屋へ。話の内容がここ数年変わっていない。
帰宅後、ミヒャエル・ハネケ監督『ピアニスト』を観る。前作『ファニーゲーム』はなかなか刺激的な映画だったが、この作品もすごく良い映画だった。主人公である女性は、普段は知的で厳しい大学のピアノの講師だが、自宅では同居している母親の執拗な束縛に苦しみ、その一方で、ポルノショップでアダルトビデオを観ながらごみ箱に捨ててある使用済みのティッシュの匂いを嗅いだり、他人のカーセックスを覗いて放尿したり、性器(多分クリトリス)を剃刀で傷つけたりと、倒錯した性癖を持っている。そこに、彼女に魅かれる若い青年が現れ、彼女にしつこく言い寄る。というお話。主役のピアニストを演じるイザベル・ユペールが素晴らしかった。
数年前、理論物理学者であるアラン・ソーカルが、「ソーシャル・テクスト」という論文誌に、「境界を侵犯すること」という論文を発表した。論文は、カルチュラルスタディーズやポストモダンの専門家による審査を通過して掲載されたわけであるが、実はこの論文はソーカルが意図的に書いた出鱈目なものであり、用語の誤用、意味不明の内容、適当な引用などをつなぎ合わせて、それらしい論文に仕上げたものだった。意味のないパロディーの文章が、その分野の専門家たちに多く読まれるはずの研究誌に、正式な論文として掲載されてしまったのである。ソーカルは自ら実例を挙げることによって、現代思想が概念の複雑なものになりすぎて、専門家ですらその内容を判断することができなくなっていることを厳しく非難したのだ。この事件は、掲載された雑誌の特集が「サイエンス・ウォーズ」だったことから、『サイエンス・ウォーズ事件』と呼ばれている。
今回の報道が真実であれば、事件の当事者であるジェーソン・ブレア氏の記者生命が絶たれたことは間違いないだろう。そうであるならばここはひとつ開き直って、次のように主張すべきだ。「今回の事件を起こした目的はふたつある。ひとつは、ニューヨーク・タイムズの原稿の審査の曖昧で杜撰な実情を世間に暴露してその管理体制を非難すること。もうひとつは、そのようなメディアの情報を鵜呑みにして生きている世界中の人々に対して警鐘を鳴らすことである」と。そして最後に、「パクリで世論を動かせるし、捏造で歴史を作ることができる。それがメディアというものだ。それでもあなたはメディアを信じるか?」という問い掛けも忘れないで欲しい。言い切れ。自信をもって。人間、言ったもん勝ちだ。
昼、映画『あずみ』を観に行く。原作が好きだからと言い訳をしながら観に行ったが、実は上戸彩にマジぼれの自分が怖い。客は中高生ばかりで、少し恥ずかしい。
夜、稽古。暇。今月号の『Studio Voice』を読んでいたら、ファーガデリックのインタビューが載っていて、奥村君がSILASとTONITEのことを教えてくれた。今度一緒にTシャツを買いに行こうという話になる。洋服に疎いぼくは、彼のような友人はとても貴重。
稽古終了後、焼鳥屋へ。次の公演の次は、八月の上旬にあるらしい。さらに八月の中旬には、地方へ行くという話が進んでいるとのこと。七月の下旬には稽古が始まるので、上旬から中旬ぐらいに山登りに行こうか。今年はどこへ行こう。
雑誌『Invitation』購入。特集は「戦時下のニューヨーカーたち」。ニューヨークで活躍するアーティストの9.11以後を追う。作家は、ポール・オースターやバリー・ユアグローなどが登場。Salon.comのローラ・ミラーもインタビューを受けている。ローラ・ミラー曰く「作家たちの事件直後の発言には、興味深いものはほとんどなかった。若手作家たちが神と仰いでいるドン・デリーロの発言でさえ、いざ出てきてみたら、どうということはなかった」。これから9.11以後のアメリカの作家たちを追いかけようと思っているぼくには、少し肩透かしのコメント。
心の底から楽しみにしている数少ない雑誌、「recoreco」のVol.6を購入。「島田雅彦の過剰対談」で、関野吉晴氏と対談する島田雅彦氏は、アメリカについて次のように語っている。「たとえばブッシュ。文明の頽廃を最も体現している人間ではないかと思うんですね。ブッシュだけでじゃなくて、ブッシュのようなアメリカ人は、よその土地に行って、その土地の食習慣や宗教、言語に理解を示し、適応する度合いがかなり低い。アメリカ人は英語しか話さない率が高いし、外国のことはいっさい興味を示さない。ともあれアメリカがナンバーワンでいられることがあればあるほど満足するし、「アメリカが全世界である」と思い込んでいる」。島田雅彦氏は、世界中のアンチアメリカに共通するような、典型的なアメリカ像を蕩々と語る。少なくともこの態度は、文学者のとるものではないと思う。ぼくが文学者に求めているのは、紋切り型のアメリカ批判をぶち壊してくれるようなアメリカ論であり、町のおやじたちが飲み屋で語るようなアメリカ論ではない。それを島田氏に求める気はないが、だからこそ、アメリカという国で創作を続ける作家たちの態度と言動が気になるのだ。
夜、稽古。今回のぼくは、座頭市のような役。以前、内倉君が座頭市をやっていたときは、すかした感じの座頭市だったのに、今回のぼくは遊星からの物体Xみたいになっている。どうしてだろう。
帰宅すると、友人である先輩から上戸彩の画像などが大量に届いている。どうやらぼくを危ない世界へ引き込もうとしているらしい。負けないぞ。負けそうだ。
本屋さんを徘徊していたら欲しい本が二冊あった。一冊は、ジョン・バースの翻訳『ストーリーを続けよう』。とても読みたいのだけど、高い。2900円。古本屋さんに並ぶのを待ちましょう。もう一冊は大江健三郎の往復書簡『暴力に逆らって書く』。往復書簡の相手は、バルガス=リョサやソンタグ、チョムスキー、サイードなど。とてもじゃないけど立ち読みできるような内容ではないので、近いうちに買うと思うけど、とりあえず保留。かわりに古本屋さんで『黒人として女として作家として』を購入。アメリカという社会において、黒人であり女性であるというふたつの障壁をもつ彼女たちのインタビュー集。ぼくも含めて、日本でトニ・モリスンとアリス・ウォーカー以外の黒人女性作家の作品を読んだことがある人って、あまりいないのではないかしら。その足掛りとして、このインタビュー集を読んでみようと思います。
最近、勉蔵君のページにGoogleのRobotが頻繁にクロールにきて、しかも二日後にはインデックスに反映されている。これがいわゆるフレッシュクロールというものなのだろうか?勉像君のページをYahooのカテゴリに登録したから?なのかな。
夜、稽古。本番まで一週間を切りました。稽古後、お酒を飲みに。いくら痩せようと思っても、毎晩のようにお酒を飲んで腹いっぱい食べていたら、痩せるはずもございません。
稽古をお休みして、図書館へ。十冊ほど借りる。中でも早く読みたいのが『アメリカの若者たち』。坪内祐三氏の『新書百冊』の中で紹介していた本で、南北戦争からビートジェネレーションぐらいまでの近現代アメリカ文学史。発行が1961年になっていて、定価100円。よれよれなので、すぐに破れてしまいそうで読むのに緊張する。他、ドナルド・バーセルミ『シティ・ライフ』やアイリス・マードックの随筆集、小島信夫『うるわしき日々』、由良君美『メタフィクションと脱構築』などなどを借りる。今年の山登りに向けて読もうと、今西錦司氏の『山岳省察』も借りた。が、ちょっと読んだだけで、登山のレベルがじぇんじぇん違うことが判明。でもまあ、拝読させていただいて、少しでも近づけるように頑張ります。
帰りに、久しぶりに中国のお茶屋さんで南岩鉄観音を購入。最近、またコーヒーばかり飲んでいるので、家ではできるだけ中国茶を飲むようにしようと思う。
帰宅後、マラソンをしようと思っていたら、寒気。やばい、風邪をひいたかも。急いでリンゴを食べて風邪薬を飲む。布団に入っておとなしく借りてきた本を読んでいたら、なんとなく直ったような気がしたが、とりあえず今日は汗をかかないほうが良いだろうからマラソンは中止。風呂場で髪の毛を切る。失敗。裸でいたら悪寒が。体調絶不調。おえー
夜、雨のなかバイクを走らせて千歳船橋の稽古場へ。雨が冷たい。また風邪を引いてしまいそう。稽古場に着くと、さすがに本番が近いせいか、鉄割どもが本番のテンションで稽古に励んでいる。嘘ですごめんなさい。演出家さんはさすがに頑張っておりましたが、役者さんたちはといえば、まるで光のどけき春の日の暖かい午後の湖畔にいるかのように微睡んでおります。負けじとぼくも微睡みました。けれども役者さんたち、実は見えないところで頑張っているようですよ。だってセリフを覚えていたし。
ところで、このサイトは鉄割が始まった翌年の98年ぐらいからやっているので、今年で五年経ったことになります。最初の二、三年ぐらいは半年に一度はデザインをリニューアルしていたのですが、気がついたら去年の二月からデザインを変更していません。そろそろ新しいデザインにしたいなあと思いながら、『Web Design Index』などを眺めているのですが、五年も経つとさすがにコンテンツも増えているしシステムも複雑化しているので、なかなか大変なことになりそうです。でもやっぱりリニューアルしたいなあ。
上で挙げた『Web Design Index』という書籍は、余計なゴタクは一切なく、デザインの優れた1000以上のWebサイトがずらーと並べてあります。ぼくはこのシリーズの2と3を持っているのですが、ぼくはこういう余計なゴタクのない本が大好きです。いろいろとぱくれるし、じゃなくて参考になるし。
次はどんなんしようかしら。
朝起きたら身体の節々が痛い。頭痛もする。ああ、今度こそ風邪をひいてしまったようだ。お仕事をお休みする連絡をして、リンゴを食べて、風邪薬を飲んで、午後まで眠る。
午後三時ぐらいに目を覚ますと、とりあえず頭痛は治まっている。ほっと安堵し、横になったまま昨日寝る前に読んでいた岩波版『北村透谷選集』の続きを読む。ぼくが彼のことを知ったのは確か高校生の頃で、はじめは内田春菊の漫画でその存在を知って興味を持ち、図書館で彼の実像と作品を調べた。漠然とした尊敬と畏敬をもって彼の詩を読み、文章を読み、手紙を読んだが、その内容など理解できるはずもなく、歳を経れば少しは理解できるようになるのかとも思ったが、彼の享年を疾うに越えた今でも、やはりわからない。わからないけれど、初めて彼の詩に触れたときから今に至るまで、その文章を読むとなぜか涙が流れてくる。
北村透谷は、明治二十七年五月十六日、つまり百九年前の今日、芝公園内の自宅の庭で縊死した。享年二十五歳。彼の自殺は、近代日本文学最初の犠牲と云われている。
嗟世に愛情ヨリ優なる者あランヤ、嗟世に愛情より美なる者あらんや、雪の如く白き者は是愛情なり、玉の如く輝く者は是愛情なり、吾纏ふ所の衣は是れ親の愛なり、以て寒を凌ぐ可く、以て社界に歩む可し、吾れ倦む時は友来つて慰諭し、吾れ怒る時は友来つて緩誡す、病あれば訪ひ苦あれば救ふ、此は是れ真の愛情なり、親の愛や、友の愛や、未だ以て真の愛情と認むるに足らず、(石坂ミナ宛書簡より)
Loveを初めて愛と訳し、恋愛を日本に輸入したといわれる北村さん。ロマンティシズムは素敵だけど、こんな甘っちょろいことばかり言っているから、これからという時に自殺しちゃうんだよ。なんだか、とても悲しい。
夜、稽古。鉄割たちも、風邪引きが多い。未だ全員そろって稽古をしたことがないのだけれど、明日は通してできるのだろうか。っていうか、僕がまだセリフを覚えていない。やっべー
帰宅後、不思議な気持ちになる。なぜか島崎藤村君の言葉、「ラブということはもう私たちはおしまいですね。春も過ぎましたね」を思い出す。部屋が汚すぎて、憂鬱になる。少し走ってこようかな。
夜、稽古。明日の本番に向けて、本日最終稽古。稽古終了後、いつもよりも少ない人数でお酒を飲みに行く。
友人であるWさんが、とにかく楽して生きたいなどとほざいていたので、「小説家にでもなれば楽して金儲かるんじゃないですか」と提案したところ、すっかりその気になってしまった。どんな小説を書けば売れるのかと聞かれたので、とりあえず直木賞をとれるような小説と答えたが、ちょうど良く作家の長者番付が公開されていた。
こうしてみると、純文学系は村上春樹ひとりだけで、他はエンターテイメント系ばかり。芥川賞作家なんてひとりもいやしない。渡部さん、やはり儲けるには直木賞です。楽かどうかは知らないけど。あるいはプチ整形の技術を今から身に付けるとか。
明日は七時半集合。早めに寝る。
十一時起床。昨日の打ち上げは、なぜか二十三時過ぎにさっさと終了。たくさん寝たはずなのになんとなくだるいのは、疲れているせいか。
午後、近所のまんが喫茶へ。近所に新しくできたまんが喫茶は、びっくりするぐらい広くて、PCもテレビもプレステもXBOXもすべて揃っている。食事もできるし飲み物の種類も多いし、二階ではビリヤードなどもできるらしい。週刊誌もかなりの数を用意しているし、驚いたことにエロ本まで置いている。一体誰がまんが喫茶でエロ本を読むんだろう。とにかく、こんな便利な場所が近所にできてしまったら、毎日のように来てしまうよ!
夕方、読書をするためにカフェへ。雑誌『Brutus』の今回の特集は『新しいスタイルの「本屋」が気になる!』。100人の著名人が、お気に入りの本屋を紹介している。池袋と吉祥寺の本屋さんとAmazonでほとんど事足りてしまうぼくは、おしゃれたブックショップに行くことはほとんどないのですが、このような特集を読むと本屋巡りをしたくなります。
Paul Austerの『TIMBUKTU』読了。以前の日記でも何度か書いたが、動物と人間の世界に対する態度の違いに興味がある。そのような意味で、本来であれば言語を持たない存在である犬としてのMr.Boneの描き方が、単なる擬人化に終わっていたのは残念だったが、それを抜きにして考えれば、不世出の浮浪者Willy G. ChristmasとそのペットであるMr.Bonesのあまりにも切ないこの物語は、とても素晴らしい作品だった。オースターの作品で、こんなに悲しい気持ちになったのは初めてだ。
夜、友人に勧められたエドワード・ヤンの『ヤンヤン 夏の想い出』を観る。軽い気持ちで観始めたら、三時間近くあってびっくり。途中恥ずかしくなるようなシーンがいくつかあったものの、なかなか良い映画だった。
今月は気合いを入れて金を使いすぎた。少し節約しよう。と思う。
鎌田茂雄著『禅とはなにか』読了。二、三年ほど前に、一度読み通しているはずなのに、内容を全然覚えていなかった。西田哲学と鈴木禅学に影響を受けた著者が、とても分かりやすく禅を説明してくれる。もちろん、これを読んだだけで禅を理解できるはずもないし、理解したつもりもないが、今は禅学よりも、西田哲学を深く学びたいと思う。『禅とはなにか』で言及している西田幾多郎の『寸心日記』が気になる。
この間観たばかりの『ピアニスト』の監督であるミヒャエル・ハネケ氏とその新作に関する記事を読む。すごく面白そう。主演はまたイザベル・ユペールなのか。とても楽しみ。
カート・ヴォネガットJrの『タイタンの妖女』読了。前に、ヴォネガットにはまりかけなどと書いたけど、実はまだこれ一冊しか読んでいない。とてもおもしろかった。SFって呼んじゃいけないんだよね。近所の古本屋さんになかなか売ってないので探すのが大変だけど、去年の京極の時のようにならないように、とりあえず二週間に一冊ぐらいのペースでゆっくりと読んでいこう。
夜、本棚を整理。面白そうな本が山のように出てくる。買う本の量と、本を読む早さが全く比例していないので、本を買っても読まないまますぐに忘れてしまう。よくない。
本の整理をしながら、なぜかジョン・スミスがアジャンタの石窟寺院群を発見したときのことを思う。
電車に乗っていたら、奇妙な人がいたので眺めていた。ふと気付くと、奇妙な人を眺めているぼくのことを眺めている人がいる。バーバラ・クルーガーの言葉を思い出す。今の状況を彼女風に言えば、「観察しているあなたのことを、観察している人がいる」ということになるだろうか。肝に銘じておこう。
この間発売されたばかりの『たかがバロウズ本』の全文がPDFで公開されている。素晴らしい。
実はまだ読んでいなかったJ.D. Salinger著『The Catcher in the rye』を購入。なぜ今更読む気になったのかといえば、村上版の新訳が出たからなのだけど、あえてペーパーバックを購入。ついでに、いつまで経っても翻訳が出ないGerald Vizenorの『Bearheart: The Heirship Chronicles』も購入。
帰り道、いつもなら通り過ぎてしまう廃れた神社に、妙に気を引かれる。境内に座り、しばし黙想。西田幾多郎曰く、真に絶対無の意識に透徹した時、そこに我もなければ神もない。而もそれは絶対無なるが故に、山は是山、水は是水、有るものが有るが儘に有るのである。昔、写真家であり映画監督でもあるリチャード・カーンの「この存在以上はなにもない」という言葉を、わざと曲解してぼくが考えたことは、そのようなことだった。
それで、数年ぶりにリチャード・カーンのことを思い出して調べてみた。Webサイトが良い感じ。ちょっとえろいので、仕事中とかは見ないほうが良いと思います。
これから夏が来るというこの時期に、冷蔵庫がぶっこわれました。うげー。来月から旅費を貯めようと思っていたのにい。これから毎日自炊するつもりだったのにい。
最近、Bookmarkletというものが巷でははやっている?らしい。要はJavaScriptで書かれたスクリプトをブックマークして、ツール的に使おうということらしいのですが、例えばこのサイト(Camino用と書かれているけど、Mozillaでも使える)で公開されているBookmarkletを使ってみれば、どんなものかわかると思います。思うに、オンライン・ブックマーク・ナビゲーターサイト『Blink』のツール「Blink it!」なんかは(Bookmarkletなんていう言葉が誕生するずっと以前からあったけど)、Bookmarkletの好例なのではないでしょうか。特定のブックマークをコンテキストメニューに登録できるようになれば、さらに有用になると思うのですが。
CSSを使用したWebデザインの強力なサンプルを提供しているサイト『Zen Garden』。同じXHTMLに異なるCSSを使用して、どこまでデザインすることができるかを見ることができます。左の「select a design」から、好きなデザインを選択してください。びっくりよ。くどいようですが、XHTMLは同じなのですよ。このサイト、かーなーり参考になります。
昼、下北沢の姉の家へ。ジェノベーゼのパスタをいただく。近況を報告して、甥に挨拶して、団欒して、渋谷へ。
夕、渋谷で『ロスト・イン・ラ・マンチャ』を観る。すごくおもしろかった。五十億円をかけたテリー・ギリアムの新作の撮影が頓挫するまでを描いたドキュメンタリー、というよりも、「The Man Who Killed Don Quixote」の宣伝ドキュメンタリーみたいだった。このドキュメンタリーを観て、次の彼の新作(『ドン・キホーテ』であることを願うけど)を観たくならない人はいないだろう。ギリアム君、素敵すぎる。
予告でやっていたペドロ・アドモロバルの新作『Talk to her』が気になる。先日観た『ヤンヤン 夏の想い出』の中で、脳卒中で意識を失い眠り続ける祖母に向かって、肉親が交代で話かけるというシーンがある。映画を観終えた後、実は一番印象に残っていたのはそのシーンで、二三日の間、ずっとそのことを考えていた。『Talk to her』は、昏睡状態の愛する人へのアプローチがテーマの映画。今ぼくが考える「(意識を失って)眠る人へ話しかける」という行為と、『Talk to her』の中で描かれる「眠る人へのアプローチ」に共通するものがあるかどうかはわからないけれど、とても楽しみ。
夜、ビールを買って内倉君の家へ。ジェノベーゼのパスタをいただく。最初、嫌がらせかと思ったが、食べてみたら全然ジェノベーゼの味ではなかったので安心。おいしかったです。でも、ぼくの炒飯の方がおいしいので、今度こそ作ってあげます。ビールを飲んだら酔っぱらってしまい、べらべらとおしゃべりをした。楽しかった。夏の登山の話などを。
帰宅したらまた倦怠。
今年の登山は次の公演の稽古が始まる前、七月の第二週ぐらいになりそう。問題はどこに登るか、だ。山の本を読みまくって、来週ぐらいには決めてしまいたい。うーわくわくするう。
ノーマン・マルコムの『 ウィトゲンシュタインー天才哲学者の思い出』を読む。ヴィトゲンシュタインの哲学に関する本ではなく、彼の講義を受け、親しい交わりを続けた著者による、ヴィトゲンシュタインとの思い出を描いた回顧録。この種の本が好きだということもあるけれど、描かれているヴィトゲンシュタインの人間性があまりにも面白すぎてあっという間に読み終えた。それにしても、ヴィトゲンシュタインの講義だけは受けたくない。怖いもん。
夜、以前の職場で一緒だったMさんから電話が来て、中野にいるからお茶しようよ、とのこと。中野に行き、どうせならと居酒屋に入り、話をする。新しい仕事に就いたMさんは、以前とは見違えるほどに精力的になっていた。仕事の内容に関しては一切教えてくれないものの、その仕事に対する情熱の勢いに、自分の境遇を思い焦りを感じる。いかなる仕事でも尽力すればモノになるとはいうけれど、それでもやはり人間には天職というものがある。どうやらMさんは天職を見つけたようだ。頑張ってください。ぼくの天職は一体どこにあるのだろう。
帰宅後、北村透谷の『三日幻境』を読む。人生何すれぞ常に忙促たる、半生の過夢算ふるに遑なし。今できることを少しずつやっていくより他に、道はないのであります。不放逸に精進すべし。とりあえず、毎日走ろう。
毎月、月末になるとお金がなくなって本を買うことができなくなる。今月も御多分に洩れず金欠。本屋さんに行けば絶対に買ってしまうので、目をつぶって通りすぎる。ううう。悔しいよう。
舞上王太郎『九十九十九』読了。今までの舞上氏の作品は、ほとんど一日で読み終えたけれど、この小説に関しては途中で読むのを中断してしまい、結局読み終えるのに二ヶ月かかった。「メタ探偵」九十九十九が主人公の小説だけあって、探偵小説といいつつも、作品自体が思いっきりメタフィクションになっている。最初は、いまさらメタられてもなーと思いながら読んでいたが、最後まで読んだら結構面白かった。今までの舞上氏の探偵小説を期待して読むと、少々肩透かしを食らうかも。それにしても、舞上氏はちょっと気持ち悪いぐらいに色々な評論家から称賛されている。大丈夫かしら。
Webで登山関係をちょこっとだけ調べてみた。いろいろなサイトがあったが、とりあえずぼくのレベルで役に立ちそうなものだけ。
■Mounting Web
■日本百名山と 山岳温泉
■All About Japan【山】 登山・ハイキング
■女性のための登山学校
■北アルプス コースタイム と 登山情報
それでいろいろと考えて、有名どころで八ケ岳の阿弥陀岳とか、笠ケ岳なんかいいのではないかしら。登山的には中級レベルらしいけど。身体を鍛えなくては。
韓国映画『テハンノで売春していてバラバラ殺人にあった女子高生、まだテハンノにいる』が面白そう。売春していたら担任の先生に見つかって、賄賂がわりにやらせてあげたら子供ができちゃって、困った先生に雇われたほくろ三人組に殺されて、ばらばらにされて捨てられたら謎の老婆に拾われて縫合されて復活して、秘密地下組織の殺人マシーンとして活躍するも生前の記憶が蘇って、私をぶっ殺した奴に復讐するわよ!っていうお話らしい。テハンノとは、韓国の原宿のような町。今週末から。
夜、走る。走りながら、考える。
古本屋さんの勝手に持ってけコーナーに、登山の本が大量に置いてあったので、全部もらってきた。山と渓谷社のアルペンガイドが十冊ほど、その他登山ガイドが十冊ほど、ボナッティの『大いなる山の日々』、出海栄三著『 山岳遭難の教訓 死なないための発想転換入門』、岳人新書シリーズ『登山セミナー 用具と技術』などなど。今一番欲しい本類なので、嬉しい。
Slashdotで『スタバで友人の写真を撮ったら無条件に著作権侵害!?』という記事を読む。スターバックスで記念写真を撮ったところ、「著作権の侵害」を盾にカメラの没収を要求されたということ。うわー何が著作権にあたるのだろう興味深いわあと思っていたら、どうやらこの事件は店のマネージャーの先走りだったらしい。今回の件で一番面白いのは、このことがblogに書かれるや否や、あっという間に世界中のスターバックスで写真を撮りまくる人々が現れたことで、企業も軽はずみに下手なことは言えない時代です。
コンビニで売っている廉価版コミックの『キテレツ大百科』に首ったけ。DVDセットが欲しい。めちゃくちゃ高いナリ。
夜、走る。走ることは楽しいけれど、やはり歩くほうが好き、と思った。
ヘンリー・ミラー『暗い春』(吉田健一訳)を読み始める。数年前に、長野県にあるヘンリー・ミラー美術館に行ったときに購入し、未読のままだった。どうして読まなかったのかと言えば、理由はただひとつ、もったいないから。吉田健一が訳しているヘンリー・ミラーだもの、そう簡単には読み始めることは出来ないし、やすやすと読み終えるわけにはいかない。ゆっくり、ゆっくりと読んでやるつもり。ページをめくる。素晴らしい作品に出会った時の、あの感覚。あの感覚が、一頁目を読み始めるとすぐにやってくる。「笑え、とラブレーはいった」。
ウラジーミル・ナボコフの『ディフェンス』が原作の映画『愛のエチュード』を観る。物語の進行がいくぶん性急に過ぎるようにも感じたが、良い映画だった。『ビューティフル・マインド』と比較する話も聞くが、こちらの方が全然面白い。物語にリアルを求めるとか、うんこみたいな事を言う人には向かない映画だと思う。物語だからこそ、突然に恋に落ちて突然に死ぬ。物語に「ありえない」ことなんて何もない。ところでこの映画、メイキングを観たところ、出ているスタッフのほとんどが女性だった。
空の飛去するとき、鳥も飛去するなり、鳥の飛去するに、空も飛去するなり。などとつぶやいたり。