04年07月01日(木)

 ここの数か月というもの、生活が少々じだらくに過ぎました。幸いなことに、今月は金はないけど時間はたっぷりあるので、あまりで外出をしないで自宅で勉強に精進したいと思います。

04年07月02日(金)

 先月、京都から奈良へ向かう移動途中に読むために、昭の字から借りたままになって結局読んでいなかった車谷長吉の『武蔵丸』を改めて読みました。あまりにも不快。そもそも、車谷氏の文学の信条が、「死ぬか生きるか、命のやりとりをする様な、維新の志士の如き烈しい精神で文学をやってみたい」という漱石の言葉だというのだから、漁夫の利を座右の銘とする浮薄なぼくの精神と通じ合うはずがありません。にもかかわらず、おもしろすぎて読みが止まらず、読了してみれば、なんとも言えぬ虚無感、車谷氏の他の作品が読みたくて仕方がない。止むを得ず、昭の字の自宅にあった車谷氏の本をすべてかっぱらってきました。

04年07月03日(土)

 新宿のフリークスで二ヶ月ぶりのライブ。前回に引き続き小沢さんがギターで、さらに「ぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼいん」のちいちゃんが鍵盤で参加してくれました。ライブもなかなか良い感じだったのですが、それよりもライブ前にタイの屋台風飲み屋さんでみんなでパクチをくわえながらお酒を呑んだのがとても楽しかった。この後にライブなんてやりたくねー!と思いました。

 ライブの写真は、内倉君の日記でどうぞ。鉄割は行くけれどもライブには興味がないという方も、是非ともいちどいらっしゃい。

04年07月04日(日)

 お蔭様で2004年第二四半期のAmazonアソシエイトの売り上げは291,213円になりました。紹介料は8,919円。これまでで最高の売り上げです。報告を忘れていましたけれど、2004年第一四半期の売り上げは、187,985円、紹介料は6,208円でした。今までのところ売り上げは順調に伸びております。第一四半期の紹介料では、『J2EEアンチパターン』を購入しました。今回は、『実践UMLーパターンによる統一プロセスガイド』を購入させていただきます。ありがとうございました。心より。今後ともよろしくお願いします。

04年07月05日(月)

 平成八年に車谷長吉氏が直木賞を受賞したときの、白州正子と車谷氏の対談が読みたかったので、図書館へ行って文学界のバックナンバーをあさりました。十頁程度の短い対談なのですが、これがとても面白くて。

 まず初めに驚かされたのが、白州さんが車谷氏にファンレターを送っていること。そしてそのファンレターが、車谷氏が二十年間で受け取った唯一のファンレターであること。車谷氏は、そのときの手紙をその場に持参しています。

車谷 私は二十年間文章を書いてきて、ファンレターなるものをいただいたのは一度だけです。しかもそれが白州先生からだから、びっくり仰天したんです。
白州 冗談じゃないわよ。私なんて何でもありゃしないもの。なにしろあなたの文章じゃ、誰も手紙なんか出せないわよ(笑)。

 数年後に初めて一緒に呑みに行ったとき、白州さんは「なにかもの足りないわね。ブタの丸焼き一匹たのみましょうよ」といって車谷氏を驚かせ、車谷氏は「今ですよ、白州さん。今っきりしかありませんよ」と夜の十一時から朝の六時まで言い続けて白州さんを驚かせたそうです。八十を齢を越えて、ブタの丸焼きを注文するような、そんなばばあがとても素敵です。

 次に、文章に話になります。白州さんは車谷氏に送ったファンレターに「車谷さんの文章は一気に読ませる力を持っている」「言葉が生きている」と書いたそうです。車谷氏は、永井龍男氏の『青梅雨』を読んで、一生に一度でいいからこういう名文を書きたいなというのが小説を書く動機だといい、白州さんは「あなたの文章を読んで、本当に感動したわ」と言います。そして車谷氏は、「生きた言葉」に言及します。車谷氏は、生きた言葉はインテリから生まれるのではなく、寿司屋の職人さん、あるいは旅館の下足番をやっているような人から生まれると言います。そして、インテリの中で数少ない生きた言葉を発する小林秀雄のことを次のように言います。

車谷 小林さんは、日本橋の骨董屋壺中居で「買った!」と叫ぶ。その叫び声が人間の生きた声なんですね。
白州 そうそう。
車谷 買ったものは、横須賀線の電車の中に忘れて帰ったっていいわけです。「買った!」というその瞬間の、その気合なんですね。それが生きた言葉なんです。おカネがなくても小林さんは「買った!」と言うんです。

 そして話は「命の通った言葉と命の通わない言葉」へ移り、白州の死生観(白州「もうどうせ近々死ぬんだからね」)から薩摩示現流(車谷「立ち向かっていくという精神を白州先生から学んだんです」)へ、さらに車谷氏の夫人である詩人の高橋順子さんの話になります。高橋さんは追分にある白州さんの別荘に来たことがあり、そこから次のような話になります。笑いました。

白州 追分と言えば、ヒョロヒョロした小説家がいたじゃないの。肺病で死んじゃった人。
車谷 堀辰雄
白州 そう。堀辰雄、私嫌いなの。
車谷 堀辰雄って弱いと思うね。
白州 私もそう思う。何だか軽井沢のお嬢さんにモテるみたいな小説で、私、あんまり好きじゃないの。そりゃ偉いことは偉いでしょう、きっと。
車谷 立ち向かっていく精神がないんです。いつも受身なんですよね、堀辰雄という人は。病気のせいかもしれないけれども。文学者というのは立ち向かっていく精神がなければダメだと思うんです。

「お嬢さんにモテるみたいな小説」って表現、とてもかわいいです。気に入った。買った!

 車谷氏は、結婚祝いに白須さんにもらったナマズのお皿のことを話します。ぼくはこの話が、ふたりの「モノ」に対する態度が良くわかって、一番好きです。

車谷 先生から結婚のお祝いにナマズのお皿をいただきました。あれは京都のどなたの作とおっしゃいましたか、人間国宝の。
白須 加藤静充って、素人なんだけれども玄人よりうまいの。これならいいだろうと思って。
車谷 ナマズの格好して、足がついているんですよね。貧乏人だけど普段使おうよと言って、普段使わせていただいています。
白須 そうそう。あれは使わないと顔色が悪くなってかわいそうなの。だから博物館なんかに入っちゃおしまいね。
(中略)
車谷 とても大事に使わせていただいているんです。大事に、同時に無造作に。
白須 使ってください。あなたからもいいものをいただいたわね。使ってるの。
車谷 赤がねの金盥を、お宅に伺ったとき持っていったんですね。べつに深くは考えなかったけれども、これしかないと思って。東京で一番の銅板を叩く職人だというふうに前から目をつけていて、これしかないと考えていました。中原中也が、晴着を普段着として着るやつはすごいと書いたでしょう。ぼくはそういう精神が好きですね。
白須 江戸の「粋」というのもそういうものでしょうね。

 この後もふたりの話は続きます。車谷氏はやっぱり力みすぎで、それがとても不快ではあるのですが、この不快な感じがたまらなくなってきました。

04年07月06日(火)

 ここのところの鉄戌サイクリング熱の影響を受けて、夕方に荒川までちゃりで走りました。途中、光が丘を経由して、あちらこちらに寄り道しながら、往復で約二時間。下手な道に入り込むと、あっというまに方向感覚が狂い、迷ってしまう。こんなに近所を走っただけでもこれほどまでに楽しいのだから、関西や東北の方までちゃりで旅をしたら、土地の隅まで見ることができてとても楽しいだろうなあ。

 橋上から眺めた荒川に、隣接する工場からなにやら不隠なものが流れ出していました。こわいこわい。

 帰り道、地下道を通ったら、ビアンキのちゃりがばらばらになって捨ててありました。諸行の無常を感じながら、夜の街を走ります。

04年07月07日(水)

 Amazonに注文しておいたAdrian Tomineの新作(といっても、今までの未発表の作品集だけど)『Scrapbook: Uncollected Work: 1990-2004』が到着。うれしー!

 夜、映画『21グラム』を観に行きました。監督は『アモーレス・ペレス』のアレハンドロ・ゴンザレス・ポコチン・イニャリトゥ・ハニャリテゥ・オーマンチン(嘘)。『アモーレス・ペレス』も面白かったけれど、この映画の方がずっと良い。この監督って、街の撮り方が半端なくかっこいい。

 この映画では、心臓の移植と患者の術後の変化が物語のキーワードのひとつになっているのですが、つい先日読んだ本(たしか『脳天観光』だったような)でも、心臓の移植を受けた患者の性格や記憶に変化が生じるという話を読みました。実際のところはどうなのかわかりませんが、心のすべてを脳に還元する悪い意味での「唯脳論(なんでもかんでも脳の機能で説明しようとするおばかちん)」よりは、よほど納得のいく話のように思いますが、いかがでしょう。

 それで今、書きながら先日図書館で読んだ吉本隆明氏と中沢新一氏の対談を思いだしたので(『群像』2004年1月「心と言葉、そのアルケオロジー」)、上の話とはあまり関係がないのですが、「脳」と「心」というものの考え方として興味深かったので引用します。対談の中で吉本氏は、遺伝子考古学の啓蒙書を読んでいて発見したことについて話しています。

吉本 (啓蒙書の著者は)臨床心理学を専攻している自分の学生さんたち百人を選んで、人間の脳と人間の心とは関係あるかどうかという質問を出した。そうしたらば、二十パーセントか三十パーセントか、そのくらいの学生さんは、人間の心の働きと脳のメカニズムとのつながりは、そんなの関係ないんだと言ったというんです。

 もちろん、この啓蒙書の筆者は、臨床心理学をやる学生が「百人のうち二、三十人も関係ないというのは、要するに、余りに観念的で、非科学的だと結論づけて」います。しかし吉本氏は、このことを逆説的に「人間の脳の働きと心の働きとは全然関係ないんだと言えるまで人間が進化してきたことは、考え方として随分進んできたことを意味するんじゃないか」と言います。

吉本 (啓蒙書は)関係ないなんていうのは観念論で、関係あるに決まっているんだ、関係あることは前堤なんだという言い方をしているわけです。それは全部。だから、きっと十冊読めば十冊ともそう書いているんじゃないかと思えるんだけども、関係ないように思えるようになったことは、まさしく人間だからだと言いたいほど、関係ないように思える方が妥当な見方なんじゃないかな。ぼくはそういうふうに思えてしようがなくて、専門家が書いた啓蒙書はちょっとおかしいんじゃないか。

 ここで吉本氏は、脳と心が実際にどのような関係にあるのかは問題ではなくて、「そんなこと関係ないと思えるまで本当にわからなくちゃった」こと、つまり、「これがつながっているなんて意識することもなくなっちゃったという方が、脳の働きはずっと進化してきている」と断言します。すごいでしょ。かっこいいでしょ。

吉本 一般に、レーニンが言う唯物論は本当の唯物論じゃないというのはおかしいけれども、それは表面だけで眺めて、ほら、脳の作用と関係あるじゃないかと言っているだけで、そんなことはどうでもいいと言ったらおかしいですけど、そんなことは当たり前と言えば当たり前だし、どうでもいいと言えばどうでもいいので、ただ、それが別々であるかのごとく思えるようになった人が、専門的な学問をやっている人で百人中に二、三十人もいるということは、一種の全体性みたいなものが脳の働きの中でできてきて、それは個々の細胞のある部分だけが励起したから、そう思えるということじゃなくて、何となく塊として評価していい部分、いい様相ができたから、関係ないように見えるということなんじゃないかなと思いました。

 こういうことをさらりと言ってしまうから、吉本さん好きです。

04年07月08日(木)

 先週、J-waveで放送していた幸田文の『流れる』が面白かったので、本を購入して読んでみました。今まで、彼女の作品は随筆のものしか読んだことがなかったのですが、小説がこんなにも面白いとは!読み逃していたことが悔やまれてなりません。主人公の梨花は、柳橋の芸者置屋に務める四十過ぎの女中。物語は、その梨花の眼を通してみた花柳界を中心に、三人称の語りで進行します。もともとは身分のある人の夫人であった梨花は、自然と置屋の女性たちをその眼で観察し、ほんの些細なしぐさや言葉の中に、その人の「格」や「品」というものを見てとります。その梨花の視点が美しい日本語で描写されており、読んでいるこちら側にも、その情景がありありと浮かび上がってくるのです。

 たとえば、次のような文章。置屋の女将が、姪の不二子にしがみつかれて倒れこむ瞬間の描写。

主人は子どもに纏わられながら、膝を割って崩れた。子どものからだのどこにも女臭い色彩はなく、剥げちょろゆかただが、ばあばと呼ばれる人の膝の崩れからはふんだんに鴇色がはみ出た。崩れの美しい型がさすがにきまっていた。子どもといっしょに倒れるのはなんでもない誰にでもあることだが、なんでもないそのなかに争えないそのひとが出ていた。梨花は眼を奪われた。人のからだを抱いて、と云っても子どもだが、ずるっ、ずるっとしなやかな抵抗を段につけながら、軽く笑い笑い横さまに倒されて行くかたちのよさ。しがみつかれているから胸もとはわからないけれども、縮緬の袖口の重さが二の腕を剥きだしにして、腰から下肢が慎ましくくの字の二ツ重ねに折れ、足袋のさきが小さく白く裾を引き担いでいる。腰に平均をもたせてなんとなくあらがいつつ徐々に崩れて行く女のからだというものを、梨花は初めて見る思いである。なんという誘われかたをするものだろう、徐々に倒れ、美しく崩れ、こころよく乱れて行くことは。横たわるまでの女、たわんで畳へとどくまでのすがたとは、人が見ればこんなに妖しいものなのだろうか。知らなかったこんなものだとは、−きまりわるく、それでも眼を伏せることができず、鮮やかな横さまの人をあまさず梨花は捉えていた。

 しかし次の瞬間、梨花はこの女将の中に、また別の面を見ます。

けれどもそれは僅かな間の影絵みたいなものだった。不二子が引放されるといっしょに、主人は片肘を力にすっと起きなおり、同時に左手でこぼれた裾を重ね、くの字の足は正座に畳まれた。習慣的に襟もとを整え、鬢に手が行った。みごとである。だが、はぐらかされたような不本意な気がしてくる。たしかにみごとと云う以外にないけれど、不本意な部分は起きかえってからである。繕う姿には長い習慣がうかがわれるだけで、しかもその習慣には不潔な影がくっついているのを、この人ほどの女が知らないのだろうか。起きた女、繕うおんなは興ざめな、つまらない女だった。

 この文章は、ほんの数秒の間に起きた出来事を描写したものです。ひとりの女性の中に、倒れて行く時には鮮やかな横さまの人の部分を、起き上がる時には興ざめなつまらない女の部分を、ほんの数秒のうちに感じ取り、それを巧みな言葉で見事に描写します。このような鋭い観察と美しい日本語が、物語の全体を通して展開します。それから、登場する女性たちの話す言葉、これがとても美しくて気持ち良い。いわゆる花魁言葉というものではないのですが、あまりにも流暢な東京言葉で、読んでいるだけでくらりくらりとしてしまいます。惚れちゃいそう。

 車谷長吉氏は、『文士の魂』という書評集のなかで、氏が選ぶ近代日本小説のベスト・スリーのひとつにこの『流れる』を挙げて、「目を瞠るばかり美しい豊饒な日本語」「近代日本の小説中で、これほどまでに女の自我の哀しさをくっきりと、奥深く描いた作品はほかにはないのではないか」と書いています(ちなみに、他の二作品は夏目漱石の『明暗』と深澤七郎の『楢山節考』です)。

 この作品は、1956年に成瀬巳喜男によって映画化されています。この梨花の視点や、登場する人々の立居振舞が、映画の中でどのように再現されているのか、とてもとても観たいのですが、どうやらDVDにはなっていないらしく、さらにビデオも入手困難で、レンタルでもまず入手不可能とのこと。今年の四月には阿佐々谷で上映していたらしいのですが、残念ながら見逃がしたので、またどこかで上映するのを待つしかありません。本当に、心の底から観たい。観たい。観たい。

04年07月09日(金)

 『流れる』の余韻がさめやらぬまま、もう一度あの雰囲気を味わいたくて、深作欣二監督『おもちゃ』を観ました。『流れる』の舞台は柳橋(台東区)、『おもちゃ』の舞台は京都の祇園、使われている言葉も片や東京言葉、片や京都言葉と異なってはいますが、時代は売春禁止法が成立する前後とほぼ同時期の話。脇をかためる南果歩や喜多嶋舞、魏涼子などがはまり役でとても良かった。芸者の文化にはまりそう。

04年07月11日(日)

 根津で鉄割の公演があったので、打ち上げだけに参加しようと、ちゃりで上野まで行きました。片道一時間ちょいと、思ったほど遠くはなかったのですが、なにせサドルがかちかちなものですから、おしりが痛くて痛くてたまりません。

 上野に到着後、公演を終えて燃えつきているやつらをねぎらいつつ、お酒をたぷたぷと飲んで、一年以上公演に参加しないと仲間意識なんてものはすっかりうせちまいますな、なんてことを話していたら、いつのまにか午前三時。帰り路は、ちゃりに乗りながら日の出を拝み、あまりの空気の気持ちの良さに寄り道をしながら帰ったのですが、なにせサドルがかちかちなものですから、おしりが痛くて痛くてたまりません。

 しかし、大通りをちょっと入ったところにあるあの商店街というものは一体なんなのでしょうね。楽しすぎます。

04年07月12日(月)

 小雨の中、戌と麒麟と神保町までちゃりで走りました。昨日も結構な距離を走っているので、さすがに二日連続はきびしく、へとへとになりながらどうにかふたりに付いていったのですが、なにせサドルがかちかちなものですから、おしりが痛くてたまりません。ふかふかのサドルカバーなどを購入すればよいのですが、今月はとにかく金が欠なものですから、おしりの痛みを我慢せざるをえないのです。

 帰りに、麒麟ちゃんがお肉の脂身だけを食べたいと言うので、神楽坂で焼き肉の店に入りました。思いがけずおいしくてびっくり。雰囲気もジャパニーズな感じで良かったし。戌井さんが、「お肉、何回も裏返していい?裏返していい?」としつこく聞いてくるので、いいですよと言うと、嬉しそうに裏返したり表返したりしていました。なんだかかわいそうでした。

 その後、抜弁天の夜の神社で世界の平和を祈ったりしたのですが、なにせサドルがかちかちなものですから、おしりが痛くてたまりません。もうおしりに限界が来たので、「ぼくはこの辺で帰ります」と言ったところ、戌井さんが「それでは、どうせ方向は一緒ですから、新宿を経由してお疲れ会をして帰りましょうよ、このくそやろう」と言うので、そうすることにして新宿まで行くと、「新宿は人が多くてうざったいので、新宿を少し過ぎたところでお疲れ会をして帰りましょうよ」というのでついて行くと、しばらくして新宿を過ぎ、「ここまで来たら、山手通り周辺でお店を探しましょうよ」というのでついて行くと、しばらくして山手通りに到着、「あそこに居酒屋があるので、あそこにしましょうよ」と行ってみると、居酒屋ではなくて寿司屋で、「仕方がないので環七まで行ってしまいましょうよ」と、またしばらく走りました。ふと気がつくと、方向がどんどんと千歳烏山へ向かっています。これは罠だ、やつはこのまま地元へ戻る気だと気づき、どうにか逃れようともがいてはみたのですが、走る方向はどんどんと千歳烏山の方へ。結局このまま烏山でお疲れ会か、と諦めていると、目の前にファミレスが現われたのでそこでお疲れ会をしました。

 そんな感じでめちゃくちゃに疲れたのですが、ちゃりで旅行に出るとすると、一日に百キロは走らなくてはならないわけですから、あらためて自分の体力の無さを実感、運動をしなくてはいけないなと思いました。戌麒麟はぜんぜん余裕の様子だったし。

04年07月13日(火)

 一昨年、去年に引き続き今年もまた、仕事場のビルの屋上に鴨の親子がやってきました。やってきたというか、子供たちはそこで生まれたわけなのですが。

 そんなわけで、太陽の光を遮るものがほとんどないようなビルの屋上で、彼ら彼女らの行く末を心配する日々が始まりました。今のところ、全部で十二羽。ただし、その親鴨とはまた別の鴨も卵が暖めている気配があるので、下手するとさらに十数羽ばかり増える可能性があります。無事に育って無事に巣立ってくれることを、祈るばかり。そして来年こそは戻って来ないで、もっと子鴨たちの教育に良い場所で卵を産んでくれるように、心より願います。

04年07月14日(水)

 眼を覚ますと、ラジオからBill Withersのlovely dayが流れている。朝にlovely dayを聴くと、その日は良いことが起こるというジンクスがぼくにはあるので、嬉しい気持になる。

 久しぶりに書店を徘徊。『アメリカ新進作家傑作選2003』を購入。収録されている作家のほとんどが知らない名前だけれど、編者はジョイス・キャロル・オーツだし、なによりもアメリカ文学の短篇のアンソロジーは、大抵の場合(ぼくにとって)外れが少ない。新人の作家の短篇集は、微妙なものが少なくないことも確かだけれど、その微妙な感じも面白い。

 『孤独のグルメ』の感動をもう一度味わいたく、谷口ジロー著『犬を飼う』を購入。十四年間を一緒に暮らしてきた愛犬の、最期の八ヶ月を描いた漫画。帰りにカフェに立ち寄って読んだら、涙が止まらなくて困った。

 夜、横臥して今日購入した『アメリカ新進作家・・・』の最初の数篇を読む。作者はほとんどがぼくと同世代なのだと思うけれど、どれも悪くない。オーツの序文を読んでいたら、彼女の短篇が読みたくなってきた。来週にでも図書館に行って、彼女の短篇集をあさろうかな、と思う。

04年07月15日(木)

 ここ数か月の連続した公演も終了し、ようやく鉄割の人たちも一段落落ち着いた感じです。みなさま、本当にお疲れ様でした。

 ありがたいことに、最近の鉄割公演を観ていただけた各界の方々から、貴重なコメントをいただきました。トップページを観ていない方のために、ここで紹介しておきます。ちなみにトップページには、これまでにいただいたコメントのすべてを載せているので、ぜひご参考のほど。

■ キレのよさとキレのわるさのコントラストが絶妙だッ!! 魚喃キリコ(漫画家)

■ いや〜、やばいよ、死ぬほど笑って、神を見た。 畠山美由紀(シンガー)

■ おっと、どっこい。まだこういうの、生きとったんやなあ。ほんと。“バカ”をできる度胸と、“阿呆”をできるおおらかさ。いやあ、センスがないと不愉快だけの世界。こいつら、そんなギリギリの綱渡りを真底楽しんでやがる 松井良彦(映画監督)

 身に染みるお言葉の数々、有難山のとんびからすでございます。

 みなさま、是非とも一度鉄割の公演をごらんなさい。キレのよさとキレのわるさのコントラストの絶妙と、センスがないと不愉快だけの世界に、死ぬほど笑って神を見ること間違いなしです。本当に、是非とも一度。一度と言わず二度三度。

04年07月16日(金)

 村上龍原作の映画『69』を観に行ってきました。思っていたよりもずっと面白かった。帰りに原作を買って、十年以上ぶりに読み返したら、びっくりするぐらいまともな小説でびっくりしました。高校生の頃に読んだときは、面白いと思う前に、小説のスタイルに結構な衝撃を受けたように記憶しているのですが、少しは大人になったのかしら。

 それで、17歳のころに自分が何をしていたのかを思いだしてみたのですが、冬に凍りついた湖の上をマラソンしていたら、氷が割れて死にかけたことや、原ちゃりで山道を走っていたら、いきなり道がなくなって崖から落ちて死にかけたことや、野良犬と遊んでいたら、前ぶれもなく突然に犬がぶちキレて噛み殺されかけたことや、野球部のひとりを「はげ」と馬鹿にしたら、野球部全員をはげと馬鹿にしたことになってしまい、リンチされて殺されかけたことや、ちゃりで三人乗りしていたら、なぜかぼくだけ金玉を思いっきりぶつけて死にかけたことや、父親に反抗したら普通に殺されかけたことなどを思いだしました。

 映画も小説も、どちらかというと『昭和歌謡大全集』の方が好みかな。どちらも面白かったけど。

04年07月17日(土)

 ここのところ、あまりの猛暑に散歩をおろそかにしていたのですが、少しばかり思索に耽りたいと思いたち、久しぶりに散歩道を歩いてみたところ、以前はただの雑草だらけの敷地だった場所が、草々が生い茂りすっかりとジャングルになっていました。足を踏み入れて探険をしようかとも思いましたが、ライオンに食べられるのは嫌なので、そっと通りすぎました。ジャングルの奥から、土人の太鼓の音が聞こえてきました。

 夜、女の子のちゃりきちがいからメールが来て、今すぐ烏山に来いというので行ったところ、この暑い日に東京を一周して100キロ近く走ったちゃりんこカップルが、すがすがしい顔でお酒を飲んでいました。いいなあ。ぼくも東京一周したい。

04年07月18日(日)

 うだうだうだるような猛暑の中、昭人くんと指紋くんとちゃりで横浜まで行きました。まずは烏山に集合、アミノ酸をたっぷりとって、裏道を通って二子玉川へ、そこからは汗だくになりながら、多摩川沿いをひたすらに走ります。川の土手では、日光浴をしている人や、バレーや野球などをしている人々や、バーベキューをしているグループなど、みなさん楽しそう。炎天下を走っているぼくたちは死にそうです。

 途中、川崎にある市民ミュージアムへ寄り、「谷岡ヤスジの世界展 天才キャラクターだもんね!」と「日本の幻獣展」を観ました。谷岡ヤスジ展はひっそりとしていましたけど、熱中症気味の頭にはなかなかよい刺戟。幻獣展は、妖怪好きにはたまらない展覧会でした。河童とか人魚のミイラは何度かみたことがあったけれど、鬼のミイラをみたのは初めてです。こういうのって、贋物であることは常識なのでしょうけれど、実際に科学的な鑑定とかってしたことはあるのかしら。それとも、そんな夢を壊すような不粋なことはしないのかな。

 ミュージアムのレストランで昼食。店内には、夫婦と思われる方々が何組かいて、楽しそうに笑いながら蕎麦を食べています。そうだ、ぼくが子どもの頃に夢見ていたのは、あんな風な小さな幸せだった。休日に、妻と一緒に近所の美術館に行くような、そんな小さな幸せを望んでいたのだ。それが現実ときたら、いい年こいたおっさん三人で、ちゃりで汗だくになりながら谷岡ヤスジ鼻血ブーちんこピーの人生になっちまった。いったい、どこで歯車が狂ったのか。ふふ。ふふふふ。

 その後、心臓破りの坂で馬鹿みたいにぎらぎらしている太陽にあやうく心臓を破られそうになりながら、どうにかこうにか横浜に到着。中華街でビールを飲みながらおいしいものでも食べようと思っていたのですが、あいにくなことに本日は横浜花火大会ということで、歩くことができないほどに人があふれています。仕方がないので本牧に移動し、戌井さんの知っている中華料理屋さん「喜血害」で揚げワンタンなどをいただきました。

 帰りは、行きとは逆の方向(東京側)の多摩川沿いを走りました。太陽が出ていないということは、こんなにも気持が良いものかと実感、二度と太陽が昇りませんようにと祈りました。とても静かな夜に、少し離れた家々から、日曜日の夕方の家族の音が聞こえて来ます。夜の風と川の音を堪能しながら、ペダルを漕ぎつつ、えろい話に華を咲かせました。

 夜九時すぎに烏山に到着。きりんちゃんが無人の駐車場で、酒にパンをひたして食べながら、マンドリンを弾いてぼくたちを待っていました。こうして、ぼくの人生は過ぎていくのです。

04年07月19日(月)

 今年の夏はミャンマーかカンボジアに行きたいと思っていたのですが、一月前からキャンセル待ちしている飛行機のチケットがいまだにとれていません。もしチケットがとれなかったら、そのお金で新しい自転車を購入して、日本の地方のどこかへ行こうかなあ。

 夜、鉄割のやつらとビルの屋上でバーベキューをしました。この鉄割の方々、本当に馬鹿というか馬鹿ばかりで、来年の今ごろには全員死に絶えていると思うのですが、一緒にお酒を飲むには本当に楽しい人たちなので、どうにか大成していただきたいものです。そろそろやり手のプロデューサーに体を売ったりすることも、考えなくてはいけない時期かもしれません。

04年07月20日(火)

 最近、幸田文さんの小説や随筆を読み返していて、東京の言葉の素晴らしさと面白さを再認識し、ここはひとつ東京言葉をきちんと身につけようかと、手始めに林えり子著『東京っ子ことば』を読んでみました。この林えり子さん、江戸に十四代続く御府内住いの生粋の江戸っ子でありますから、とにかく言葉にはうるさい。本書も、初っ端からお会計のことを「おあいそして」などという人に対して苦言を呈しています(正しくは「ツケ、頼みます」というそうです)。この『東京っ子ことば』は、そんな江戸っ子林さんの言葉に対するこだわり全開のエッセイで、次から次へと登場する東京言葉に、圧到されまくりです。

 東京の人間でないぼくには、東京弁=江戸弁と短絡的に考えてしまいますが、この本で扱っているのは、江戸弁ではなくてあくまでも東京言葉、つまり、明治維新の後に形成された言葉で、林さんは中村通夫氏の『東京語の形成』から、以下を引用しています。

いま(昭和初期)につかわれている東京語は、明治初期にはまだ芽ばえの時期にあった。服装、生活様式から思考様式にまで新旧動揺のるつぼにあったのだから言語もその例にもれなかった。そのことばの混乱に直面して東京人が採った態度に沿って、東京語は形成されてきた。言文一致の試みがそれに拍車をかけ、骨格ができあがった

 とはいえ、もちろん東京言葉の根底に江戸の言葉があることに間違いありません。『東京っ子ことば』の大半は江戸の文化に関する言及で占められています。江戸へ思いを寄せつつ、東京の言葉の粋を味わいます。

 以前に川上弘美さんのエッセイで読んだのですが、彼女のお母さんは、驚いたときには「びっくり下谷の広徳寺、おそれ入谷の鬼子母神、そうは有馬の水天宮」などと自然に出てしまうような、二十五代にわたる生粋の江戸っ子だそうです。ぼくのまわりの東京人からは、驚いてもそのような言葉はでませんから、やつらはまだまだ本物の江戸っ子じゃあありゃあせんな。

正銘の江戸言というは、江戸でうまれたお歴々のつかうのが本江戸さ。−ちゃんとして立派で、はでやかで実も吾嬬男ははずかしくねえの
式亭三馬『狂言田舎操』

 東京の言葉に限らず、言葉というものは、地方地方によってそれぞれに味があって面白い。面白くないのは、その言葉が身についていないものが無理やりに使う言葉で、映画や舞台などで役者が使う方言や言葉ほど惨いものはありません。最近観た映画の中では、『たそがれ清兵衛』の真田広之・宮沢りえ両氏の方言はひどかった。東北の言葉は特に難しいということも原因だとは思いますが、美しい東北の言葉の響きが、かくも無惨というほどにつまらない言葉になってしまっていて、映画がそれなりに面白いだけに、その点だけが残念でなりませんでした。

04年07月21日(水)

 本日も、戌と麒麟とサイクリング。最初に笹塚に集合、お酒を飲んでほろ酔いで出発、環七から方南通りに入り、大宮八幡宮でお参りをして、和田堀公園から善福寺川に沿ってゆっくりと走りました。最初は川幅もあって気持の良かった善福寺川は、進むにつれてどんどん狭く汚くなっていき、変な匂いまでしてきて気分が悪く、三人とも無言で、けれども自転車に乗っていること自体は楽しいので、まんざらでも無い様子でペダルをこぎ続けました。東京中の川という川を、自転車で巡るというのもなかなか楽しいかも、と思いました。

 帰りに、吉祥寺の古本屋さんで江戸関係の本を何冊か購入。リュックに入れたら重たくて、ちゃりに乗るときは本を買ってはいけないということを身をもって知りました。

04年07月22日(木)

 黒沢明が残した二本の脚本のうちの一本を映画化した『海は見ていた』を観ました。時は江戸、場所は深川、岡場所で働く遊女たちを描いた物語、しかも黒沢さんがこの脚本に対して言ったのは、「先ず、粋に行きましょう」ってなことですから、期待するなという方が無理というものです。が、観終えてみると悲しくなるぐらい不粋な映画で、あまりのショックに発熱してしまいました。ところどころ、無理矢理に粋にしようとしている場面があって、それがまたみにくい。脚本はとても良いのに、どうしてこうまでも不粋にできるのか、不思議でしょうがありません。最期のシーンも、原作で読むととてもよい場面なのに、撮り方がひどすぎて、役者さんの懸命な演技が滑稽に見えてしまうほど。

 それにしても、江戸のころには深川のあたりが沈んでしまうほどの洪水があったのですね。海が近いのだから当たり前か。

04年07月23日(金)

 結局、飛行機のチケットのキャンセル待ちは待っても無駄っぽいので、そのお金で新しいちゃりを買っちまいました。フォルクスワーゲン社から出ているランナバウトというとてもかわいらしい自転車です。ディーラーへ直接行って、「すんませんが自転車を下さい」と言ったところ、店員さんは「は?」というリアクション、まるでコンピューターペンシルを使ったのび太くんを見るドラえもんのような目(参照)でぼくを見ました。渡された自転車も、タイヤに空気が入っていないし、防犯登録もしていないありさま。すぐ近くに自転車屋さんがあったから良かったようなものの、ちょっと適当過ぎやしませんか。

 とにかくも、以前から欲しくて仕方がなかった自転車が手に入ったので、非常にご満悦です。走りまくりますよ。


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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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